海浜日誌
本文約6,900字 ・ 読了時間 約14分
あらすじ(AIが作成しました)
雑誌の月評を引き受けた筆者が、砂浜で数々の文学作品を読み、その感想を綴る随筆。滝井孝作の妹をめぐる心情、武林無想庵の激しい情念、広津和郎の隠れ家で遭遇した奇異な事件、葛西善蔵の不良児を抱える父の苦悩など、多様な小説について批評を行う。さらに小川未明の思索や谷崎潤一郎の戯曲の完成度、里見弴の随筆、中戸川吉二らの人間模様にも触れながら、作家の筆致や作品から受けた率直な印象を簡潔に記録する。
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一
――日。六月の雑誌二冊ふところにして、朝、砂浜に坐る。時々こんな風にして浜に降りるが今朝はいつもとは違つた心だつた。「月評」をする筈なのだ。これは初めての仕事だ。――だから、である。手紙で友人の創作についての批評や感想は往々書くが、それとこれとは比較にならない。相手の性格も日常生活もよく知つてゐるし、当人の創作は残らず読んでゐるといふ親しい四五人の友達だけに止つてゐた。それだけにそれは勿論、創作以外にわたる「お互ひに許してゐる無遠慮、同情、非難」で、同志に解りきつたことは省く……といふやうなあんばいで、極めて安易に行ふ、客観的には批評の形式になつてゐないといふやうなものより他に経験がない。同人雑誌をやつてゐる時分毎月一回づゝ主にその雑誌についての座談批評会をやつたことがある、それは二年あまり続いた。自分はその席上で一番喋舌れぬ者だつた。「此集りは面白くないから止ようぢやないか。」と云つて同人の凡てに反感を持たれたのは自分だつた。加けに自分の読書範囲は非常に狭い、好きな作家尊敬して居る作家のみに止つてゐた。これは余り好もしい癖ではないと思ふ。出来ることなら矯正したいと思ふ。一つはそんな理由でこれを引きうけたのであるが。この虫のよさは経験と素養とを観れば、それにおどかされて忽ち打ち消されてしまふ。たゞ此頃いろ/\なものを読んで見た、要求にかられて、二三ヶ月前から雑誌に限らず新刊書を大分読んだ。その中で伊藤靖氏の「発掘」は明らかな印象が残つてゐる。これは友人にすゝめられて読んだのだが、読んでよかつたと思つた。その他にも二三あつたがこゝでは省く。
こんな風に自分を語ることは読者にとつて迷惑なことに違ひない。愚かなることは仕方がない、素養のないことは今は間に合はない不遜の極みであるがこんな文章の体裁で、たゞ落着いて読んだ後の「感想」を書いて見よう、嘘でないことは恥づる必要はない。