城ヶ島の春
本文約3,900字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
三崎の町で独り暮らし、島で春の陽気を享受する病気療養中の「わたし」を描く。夜な夜な渡し舟で島へ渡り、酒を飲んで孤独な壮絶さを味わう日々を送る中、ある日入江で翼を負傷した鴎を見つける。「わたし」はその鳥を保護し、宿へ持ち帰ることを決意。傷ついた生き物との奇妙な共同生活が始まる気配と、島の春の風景、そして酒に酔いながら過ごす日常の気だるくも長閑な情緒が綴られる。
💰 この本を応援する(投げ銭)
城ヶ島といふと、たゞちに北原白秋さんを連想する――といふより白秋さんから、わたしは城ヶ島を知り、恰度酒を飲みはじめた十何年か前のころ、わたしたちは酔ひさへすれば、城ヶ島の雨を合唱したものである。白秋さんが、三崎から小田原へ移つて何年か経ち、恰も、千鳥の唄をつくられて間もないころではなかつたらうか。
わたしは白秋さんが、かなりながく住んでをられた小田原の天神山といふ明るい孟宗竹と芝の小山に営まれた木兎の家を、引上げられる一二年前に何か所用があつて東京からお訪ねしたのを初めに、わづかの間であつたが、どうもそれが悉く春の季節で、欲深和尚が筍を盗みに現れる影法師を、木兎の家の窓から朧月を透して見物したことや、おやまあ、こんなところにもツクシンボウの芽が出てゐるぞ、ほらまた、こゝにも――と水々しい朝あけの芝を、ゆうべの踊りをおもひ出す足どりで踏んでゐた白秋さんが、何か余程貴重なものでも発見したやうに驚嘆の声をもつて指さし、その度毎に空を仰いでわらはれてゐたのをいつも今ごろになつて、どこからともなく貝の音色を感ずるやうな微風に吹かれると、突拍子もなくおもひ出すのである。
そのころ白秋さんの詩の一つに、凡そ二三歳であつた御子息が汽車遊びに耽つてゐらるゝ光景をうたはれたものゝなかに――たとへば御子息は玩具の汽車をおしながら、見渡す限りの何も彼も、ツクシンボウも木兎さんもお月さんも和尚さんも、そして父さんも母さんも……みんな、みんな、乗んの乗んの――と汽車の客となし、汽車は大層な汽笛の音も高らかに、ポツポ/\と驀進して行く素晴しさを、うたはれたものだつたとおもふが、たしかそのなかに、マキノさんも乗んの、乗んの――といふ一句があつたのである。四角張つてゐたかのやうな何処かの青年が、やがて海の上に月が出る時刻になると、忽ちマリオネツトのやうに酔つ払ひ、厭味な喉を振りしぼつて、ほろゝん、ほろゝんの唄などをうたひ出した容子が、鷹揚な機関手の眼に余程異様と映つたのであらう。