かれは時には悩ましげな呉服店の広告画に描かれた殆ど普通の女と同じいくらいの、円い女の肉顔を人人が寝静まったころを見計って壁に吊るしたりしながら、飽くこともなく凝視めるか、そうでなければ、やはり俗悪な何とかサイダアのこれも同じい広告画を壁に張りつけるかして、にがい煙草をふかすかでなければ冷たい酒を何時までも飲みつづけるのである。
かれは、わざと描かれたうす桃色の拙い色調のうちから誘われた、さまざまの記憶にうかんでくる女の肉線を、懊悩に掻き乱された頭に、それからそれへと思い浮べるのであった、それらの女の肉顔は何処で怎う見たことすら判明しないが、ただ、美しい女が有つところの湯気のような温かみが、かれの坐っているあたりの空気をしっとりとあぶらぐませ、和ませてくるのである。温泉町の入口にでもひょいと這入ったような気が、かれの頬や耳や胸もとをくすぐってくるのであった。かれの信じるところによれば、美しく肥えた女が特別な空気を惹き寄せるというより、皮膚や鼻孔や唇などが絶え間なく、そば近い空気をあたためているように思われるのである。
わけても電車のなかや街路や商店の入口などで、はっとするほどの女の顔をみた瞬間から、かれ自身が既うみずから呼吸するところの空気を、別なものに心でえがき、心で感じるからであった。かれは第一に何故にそのハッとした気もちになるか、なぜ胸を小衝かれたような心もちになるか、そして又なぜに自分の視覚がその咄嗟の間にどぎまぎして、いままで眺めていたものを打棄って、急にその美しいものに飛び蒐って見詰めなければならないか、しかもその為めに一時に断たれた視線が、その美しいものに追い縋るまでの瞬間に仮令一時的にも何故に麻痺するかということを、かれは髪のなかに手をつッ込むような苛苛しい気持になって考え沈むのであった。こうしたかれは何よりその広告画の表面の色彩と肌地のいろが、かれの今まで眺めては消えてゆく女の、いろいろな特長をかれの眼底にすこしずつ甦えらしてくるのである。