男が出かけようとすると、何時の間にか女が音もなく玄関に立っていて、茶色の帽子をさし出した。男はそれを手にとると格子をあけて出て行った。女はしばらくぼんやり立っていたが、間もなく長火鉢のところにぐったりと坐って、いつまでも動かないでいた。それは女のくせで、いつも男が出て行ったあとは考え込んで、すっかり陰気になって、なにも手のつかない一二時間をぼんやりして送るのが常である。そして考えつかれるとやっと縫物をはじめるのだ。海苔のような布片を杓るようにして、暗い糸を通したりしていた。そういう一時間が経つと、かの女はまた上目をしながら神経深くなって、何か繊かい感情の上のことや、茶碗のふちが、少しばかり欠けたことや、男の出掛けぎわに故意と視線を外らしたことや、口へまで出てわざと黙った素振りをしたことなどが、つぎからつぎと考えられた。その考えにふければふけるほど、しぜん仕事が留守になってしまって、あけた障子のそとのあかりを茫然と上目をしながらながめるのであった。
実際、女は日に日に瘠せおとろえていたのである、あごの尖ったのや、ほっそりと顔全体が毎日鉋をかけたように剥がれてゆくのや、病的に沈みきって蒼みをもった皮膚が、きみの悪いほど艶を失って、喉のあたりまで白く冷たく流れこんでいるのや、それらは永く正視できないほど憂鬱に凝り上っているものに見えた。一つには彼女が物音を極端におそれたり、一つ事を永く考え込んだりする性質からきているのである。たとえば男の室に、男のいないときに不思議に起る咳の音や、畳ずれのすることや、何か小言をいうらしいけはいなどが、よく空耳を襲うて彼の女をぎっくりさせるのであった。かの女はそのほっそりした弱弱しい顔をあげ、じっと耳をすまして、男の室におこる物音をしかも男のいない日に殆ど癖のようになって聞くのであるが、そういうとき彼女は真青になっておのずから顫えるような気がするのであった。