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TORENDIA

われはうたえども やぶれかぶれ

本文約45,500字 ・ 読了時間 約92分

あらすじ(AIが作成しました)

病に伏し書くこともままならない作者が、夜ごとの排尿困難と閉尿の苦しみに翻弄される日々を綴る。眠れぬ夜に何度も廊下を渡り便所へ通う姿や、入院中の病院での看護婦との交流、退院後の静かな病院の廊下を再訪した時の心境を描く。かつては書くことへの意欲と病の苦悶に引き裂かれていたが、退院後の何気ない日常の中で、尿器に対峙した時にふと無心に用を足す自分を見出し、自身の回復と心境の変化を静かに回想する随筆である。

室生犀星

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詩を書くのにも一々平常からメモをとっている。メモの紙切れをくりながらその何行かをあわせようとすると、それがばらばらになって粘りがなくなりどうしてもくっ附かない、てんで書く気が動かないで嘔気めいた厭気までがして来る。こんな筈がないと紙切れを読みなおしている間に、頭に少しもなみが打って来ないで只のふろしきを展げたように、ぼやぼやと、よりどころがない、やはりだめだ、机の上を片づけながら臥てしまう。この六十日くらいの間なにも書いていないで、只、うつらうつらと寝るにまかしていた。書くしょうばいをしている奴が書くことが出来なくなると、一行もはたらかなくなってしまう。病いの重さもそうだが、頭がかすかすになって水分も油気もなくなるのだ、例のふろしきのような奴が夜昼なしにふうわりと冠っていた。私はその下にいた。ああいう詩がつづり合せられなくなるということは余程のことだ、出来ている行と行とを合せてゆけばよいだけなのに、口から、はあはあと大息を吐いてまいってしまう。これは余程のことだ。

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