エタ源流考
本文約23,500字 ・ 読了時間 約48分
あらすじ(AIが作成しました)
エタと呼ばれた人々の歴史的地位と起源を論じる。彼らは本来の日本民族と何ら区別がない同一の存在であり、職業や境遇の変遷を経て徳川時代に特異な身分として固定された過程を解明する。京都をその発祥の地と見なし、各地の伝承や文献から彼らの成り立ちを検証し、世間に根付く迷信や因襲を否定する。さらに、彼らが被ってきた圧迫と社会的な隔絶の解消を目指し、互いの融和と相互理解の必要性を強く訴えるものである。
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1 緒言
往時「エタ」と呼ばれておった不幸なる人々は、本来いかなる性質のものか、またいかなる事情からかくの如き気の毒なる境遇に落ちたか。この解決は自分の日本民族史研究上、最も必要なる事項であるのみならず、この人達と一般社会との真の融和を得る上にも、まず以て是非とも知っておかなければならぬ問題であると信ずる。
それについて自分は、「穢多」という同情なき文字の使用に甚だ多くの不愉快を感ずる。「エタ」という名がいかなる由来を有するか、いかなる意義を有するかについては、別項「エタ名義考」中に於いて管見を述べておいた。よしやその意義がいかにもあれ、「穢多」という文字は「エタ」の語を表わすべく用いられた仮字に相違ない。しかしそれが仮字であるにしても、かつて或る迷信の上から、彼らは穢れたものであると認められていた時代ならば、或いはこの字を用いておっても、幾らかその意味があったかもしれぬが、今日肉を喰い皮を扱うことが、必ずしも穢れではない、神明これを忌み給うものでないという諒解が出来た時代にまで、この不愉快の仮字を使用する必要はない。
実を言わば「穢多非人」の称は明治四年に廃せられたので、爾後「エタ」なるものは全く存在しない筈である、したがって自分は、もし出来るならば一切この忌わしい言葉を口にしたくないのである。しかしながら、過去の歴史を説く場合には、どうしてもこれを避ける事が出来ない。自分もやむをえず、不愉快ながら本編以下多くこれを使用しようと思うが、それにしても「穢多」という同情なき文字は、なるべく避けたい。どうでそれが発音をあらわすための仮字である以上、いかなる漢字を使用してもよいのであるから、自分は彼らの将来に天恵多からんことを祝福して、「恵多」という文字を使用したいと思う。しかしそれは余りに見馴れない文字で、過去に所謂「穢多」を表わすべく、読者諸君の理会を得難かろうとの懸念もあれば、しばらくはなるべく片仮名、もしくは平仮名を用うる事にしたい。万やむをえず漢字を用うる場合には、自他共になるべく「恵多」の文字に改めたいと希望する。