すき焼きと鴨料理――洋食雑感――
本文約2,500字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
フランスの鴨料理やニューヨークのすき焼き店を訪れた体験を通じ、自国の食文化を知らずに海外で模倣する日本人の現状を批判する。著者は「ツール・ダルジャン」で自ら持ち込んだ調味料を用いて鴨を食し、格式高い店でも臆することなく自身の流儀を貫く様子を綴る。本随筆は、西洋の礼賛や過度な遠慮を戒め、食に対する本質的な追究と、海外においても堂々と振る舞うことの重要性を論じる。
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かねて日本を出発する前から、フランスの鴨料理について、やかましく聞かされていた。
それというのも、一方的な西欧礼賛が多く、ほんとうのところは分ったものではないと、私はひそかに考えていた。フランスがどうの、アメリカがどうのと、親切に話してくれる人たちが、日本のこととなると、実はよく知らないのだから、話が初めから狂っている。
日本人にして、日本を知らない連中が向こうへ行くものだから、外国へ行っても日本のことを教えることができない。
これは日本のために大変な損失である。また外国のためにも損失である。
名物と言えば、フジにゲイシャ、奈良では鹿にセンベイをやることしか、自慢し教えないのだから、向こうの人間は日本について知る由もない。いわんや、日本料理など分るわけがないのである。
例えば、ニューヨークのすき焼きが昔から有名であるが、行ってみると、すき焼きでもなんでもない。桶のようにふちの高い鉄なべの中で、菜っ葉を山のように盛り、見るからに不味そうな肉の幾片かを載せ、グチャグチャ煮ている。それを日本通のアメリカ人がよろこんで、家鴨が餌を食うみたいにガボガボ食っている。
主人なる男は新潟在の出身で、どこをどうやってか移民船にもぐり込み、ニューヨークで人夫などしているうちに、人の入れ知恵で、すき焼き屋を始めたらしい。
話してみると、新潟の町も東京も知ってはいない。そんな具合だから、道具などなにも持ってはいない。店構えはとみれば、まるで田舎の博覧会みたいに飾りたて、部屋にはいかがわしい複製の錦絵などを貼りめぐらしてある。
主人を呼び、私がほんとうのすき焼きのつくり方を教えると、
「ヘエー、すき焼きというものはそういうものですか」
と、感心している始末であった。
フランスの鴨の話にしても、話す人間が話に聞くだけで、実際に行ってはいないらしい。なにしろ一羽一万円するのであるから、初めから敬遠しているのである。趣味も食道楽もあったものではない。向こうで日本人が行くところと言えば、場末の居酒屋みたいな小さな店である。しかも、その小さなお店で“学ぶ”という気持だから、自由な注文も質問もできはしない。