日本芥子
本文約670字 ・ 読了時間 約2分
あらすじ(AIが作成しました)
西洋からしに比べ、辛味や香味が優れ安価である日本からしの利点を説き、その活用を促す随筆である。著者は、安易に西洋文化を重んじる当時の食習慣への不見識を批判し、自らの食生活を見直すべきだと主張する。手間に思われがちな日本からしの溶き方や、ビフテキなど多彩な料理への応用方法を提言し、食に対する独自の矜持を綴る。
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西洋料理、中国料理に添えてあるあのからしを見るたびに、どうも気になってしようがない。日本料理に付けられた場合などはなおさらである。
元来、西洋からしというもの、肝心の辛さが一向辛くなく、第一大切な香味がなっていない。辛味も香味も共に優れている日本からし。しかも、安価で存在しているものを、なにをもって西洋からしをありがたがるのか。わたしにはさっぱりその気が知れない。あの小麦粉とからし粉を混ぜ合わせたような精気のない西洋からしのいったいどこがよいのだろう。
なるほど、日本からしは使用に臨んで溶くというちょっと手間のかかるキライはあるが、それとてからし粉を湯呑の底にでも入れて、日本紙を一枚置き、少しばかり湯をそそぎ、灰あるいは炭火のおこったのでも入れれば、それだけですむことではないか。
しかし、日本からしは西洋からしのように色が美しくない。キメがあらい。これを改良したら質においては、西洋からしにまさること数等である。
美味で効果的で経済的であることを実行しないのは、食べ物に対する不見識であり、陋習を改めない横着さは充分責めねばなるまい。
ビフテキに一度日本からしを付けてみるがいい。どんなにうまく食えるだろうか。日本からしはおでんと納豆にかぎる出合い物だなどとばかり決めこんでいては、物笑いの種である。
独りこのことばかりではない。だいたい西洋ものでさえあれば、てんからなにもかもがよいように思ったりする癖が悪い。むしろ、西洋人と食卓に向かい合いでもしたような場合は、日本からしの優れていることを、教えてやるくらいの見識を持ちたいものだ。(昭和十三年)
完