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TORENDIA

料理は道理を料るもの

本文約1,200字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

大根の皮やわさびの軸を無造作に捨てる当時の料理人の習慣を、北大路魯山人は厳しく批判する。料理とは自然が授けた材料の持ち味を最大限に引き出し、無駄なく活かす道理を極めることであると説く。本稿は、料理材料に対する敬意と、本来の素材を活かすための工夫こそが料理の心であり、真の料理人の資格であるという独自の信条を綴る。

北大路魯山人

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🎧 料理は道理を料るもの / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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日本料理の革新を叫んで星岡を始めたころ、私が板場へ降りて仕事をしだすと、料理材料のゴミが三分の一しか出ないと、ある料理人から言われた。料理材料の不用分を私が処理すると、捨てるところが減少してしまうからである。私は今でもそれを誇りにしてよいと思っている。ある時、板場へ降りて行ってみると、ふろ吹き大根をつくるというので、勇敢に大根の皮を剥いている。皮だから捨ててしまえばそれまで、糠味噌へ入れれば漬けものになるし、そのほか、工夫次第でなんにでも重宝に使える。

こんなことを廃物利用と人は呼んでいるが、大根の皮の部分というものは、元来、廃物ではない。廃物だと言うのは、料理知らずのたわごとである。皮の部分にこそ、大根の特別な味もあり栄養もある。だから、元々、皮を剥いて料理すべきものではない。皮を剥く場合は、お客料理としての体裁か、また、大根が古くて皮が無価値になっている場合とかにかぎるのである。そこのところが分らない料理人は、なんでも皮を剥いてしまう。私は鎌倉で、大根を食う場合は、いつでも畑から抜きたてのものを用いる。もちろん、そういう新鮮な大根は、皮などもったいなくて剥けるものではない。

その道理の分らない無教養な料理人は、鎌倉で抜きたての大根をあてがっても、皮を剥いてしまう。食う相手が私である場合には、そんなもったいないことをしてはいけないと言って、いつも教えてやるのだが、もちろん、相手にもよる。半可通のお客が来ていれば、そのお客に合わして皮を剥くのも、ときには必要となろう。だが、大根の皮は、貴重なものであるということを、初めから呑み込んでいるのでなければ、ほんとうの料理人とは言えない。料理の憲法を学ばない輩は困ったものだ。単に大根にかぎらない。例えば、わさびの軸である。あれをみな捨てているが、わさびの軸の色は青々として清々しく、シャキシャキして歯当りの感触もよし、味もちょっと辛くて、使いようによっては、皮肉にもまたよいものである。箸洗いなどに配してもシャキシャキして活きる。他の何物をもってしても、わさびの軸に優るものはざらにない。

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