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TORENDIA

インチキ鮎

本文約2,000字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

鮎は名が立派なだけに、世間にはいかがわしいものも出回っている。大正時代の東京で持て囃された巨大な鮎や、冷蔵庫で長期保存された後に安値で流通する鮎など、魚の真価を知らぬ者たちを惑わすインチキ鮎の事例を列挙する。著者は京都と東京の食文化の差異や、料理屋の営利的な策略、そして成金の無知が引き起こす食の欺瞞を鋭く指摘し、世に横行する不誠実な魚の商売の実態を綴る。

北大路魯山人

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🎧 インチキ鮎 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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前に村井弦斎のわた抜きあゆの愚を述べたが、あゆは名が立派だけにずいぶんいかがわしいものを食わせるところがある。そうしたインチキあゆのことを、少し述べよう。

東京ではむかし生きたあゆは食えなかった。生きたあゆどころか、はらわたを抜き取ったあゆしか食えなかったので、解釈によっては、昔の東京人はインチキあゆばかり食っていたのだといえないこともない。

そこへいくと、京都は地形的に恵まれているので、昔から料理屋という料理屋は、家ごとにあゆを生かしておいて食わせる習慣があった。料理屋ばかりでなく、魚屋が一般市民に売り歩く場合にも生きたあゆを売っていたくらいだ。

わたしたちの子供の時分によく嵯峨桂川あたりからあゆを桶に入れて、ちゃぷんちゃぷんと水を躍らせながらかついで売りに来たものである。このちゃぷんちゃぷんと水を躍らせるのに呼吸があって、それがうまくゆかぬとあゆはたちまち死んでしまう。これがあゆ売りの特殊な技術になっていた。

そんなわけで、わたしはあゆを汽車で京都から運ぶ際に担い桶をかついだまま汽車に乗り込ませ、車中でちゃぷんちゃぷんをやらせたものであった。もちろん駅々では水を替えさせたが、想い起こしてみると、ずいぶんえらい手間をかけて東京に運んできたものである。たかだか二十五、六年前のことだが。

しかし、いずれにしても、あゆをそういう工夫によって長く生かしておくわけにはゆかない。本当の生簀でもあゆを入れておくと、どうしても二割ぐらいは落ちるものが出てくる。これとても食えないことはないが、味がまずい。単にまずいばかりでなく、第一塩焼きにしても艶がなく、見た目にも生き生きしていないから料理にならない。そこで料理屋はこれにタレをつけて照り焼きに仕上げるのである。まさかこればかりを客に出すわけにもいかないから、活あゆの塩焼きといっしょにして「源平焼きでございます」などといって出す。それを知らないで、中には自分の方から源平焼きをくれなどと注文して料理屋を喜ばす半可通もないではなかった。

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