渚
本文約15,800字 ・ 読了時間 約32分
あらすじ(AIが作成しました)
屋敷の売却を控えるななえは、家政婦のかんさんとその情夫である市村による財産目当ての画策に翻弄される。ある日、ななえは彼らとの関係や行き詰まる現状に虚無感を覚え、一人で渚へ向かう。そこでは人だかりができ、何かが運び出される騒ぎが起きているが、ななえはそれに無関心な態度を通す。後を追ってきた市村を避け、ななえは自身の周囲からようやく逃れ去る感覚を覚えながら、静かに佇む。
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齒醫者への出がけに、ななえが來た。
鮒の子を持つて來たんですけれど、池ん中に手網を入れてすくつて見ても、すぐ水が濁つてしまつて鮒の子がどこにゐるのか、判んなくなつちやつたと言ひ、ビニールの袋を差し出して見せたが、中には瘠せた鮒の子が、たつた五ひきしかゐなかつた。何だ五ひきくらゐなら、そこらで買つたつて宜かつたんだ。鮒の子をやるやると言ふもんだから、もつと美事な大きい奴だと思つてゐたら、こんな瘠せた銹び釘みたいなやつは目高の屑みたいだ。大きい鮒の子は野性があつて水の中では泳ぎが美しいと言ふもんだから、いただきたいといつたんだが、こんな銹び釘なんか貰ひ損みたいだと私はいつた。鮒の子は東京では手にはいらないから、ひよつとすると變つた鮒の子もこの世に生存してゐるかも知れないと、ばかな私は若鮎くらゐある鮒の子が、ななえによつて搬ばれることを愉しい一つ事にかぞへてゐた。どんな處に途方もない尾鰭のいきいきした鮒の子が生きてゐるかも判らない、つまりななえの家の池には奇蹟の鮒の子が泳いでゐるやうな氣がしてゐるのである。
池は小さいが、戰爭前後から打つちらかしてあつて、鮒の子ばかり年々にふえてゐた。舊地方長官の父親が、病死してからななえは一人になり、屋敷と庭そつくりで七百萬圓の値踏みがついたことで、ななえは奇蹟の金持ちになる筈だが、それも別の土地賣買人の計算では千萬圓くらゐになる見込みがあるといふので、ななえはそこで千萬圓の方に鷺宮に口を利いて貰つて話をすすめたのだ。