TRENDIA CLASSIC

はるあはれ

室生犀星

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むかし男がゐた。むかしと云つても、五年前もむかしなら、十年前の事もむかしであつた。その男はうたを作り、それを紙に書いて市で賣つてたつきの代にかへてゐた。うたは大してうまくなかつたが、依頼者は悉く女達であつたからどうやらそのまま通つて、毎日一人くらゐの客があつて食ふことが出來てゐた。客はそのうたに詠みこむための事情とか憐憫、戀愛、反抗なぞのありきたりの樣々なめんだうな話をして、おしまひにみんなは言ひあはせたやうに何もいまさら、うたなぞ作つていただいてもどうにもならないが、あなたがさうやつてお客樣がなかつたらお困りであらうと、けふもお訪ねしたのだと言つて、まるで男に食べ料を置いて行くことが好意のあらはれでもあるふうであつた。男は客の置いて行つた紙包から乏しい金をひらいて、言ひあはしたやうな同じ額の金を紙入にしまひ込んだ。それらの金で男は二日か二日半くらゐ食ふことが出來た。うたを作つて賣り乏しくとも金になれば男はしあはせであつた。毎日いらいらして澤山の小説を書いて金を取るよりも、氣のらくなうたを書いてゐたはうが、朝起きるときにもすがすがしくその日をむかへることが出來たからである。

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