TRENDIA CLASSIC

平凡な女

林芙美子

1 / 3

奥様同士が子供を連れての立話に、

「まア! お久しうございます。皆様おかわりもなくていらっしゃいますか、一番お末の方、もう、こんなにおなりでございますの?」

「ええもう八ツになりまして、一年生でございますのよ」

「あらまア、そうですか、ほんとに早いもので、宅のがもうあなた尋常四年生でございますものね」

以前の私が、道の行きずりにこんな話を聞いたならば、子供が八ツになって小学校へ行くのはあたりまえの事で、女同士の話題の狭さにぷりぷり腹をたてていたかも知れない。だが、このごろは途上でそんな立話を小耳にしても腹が立つどころか、日向でぬくぬくとしているような心温かなものを感じるし、女らしくていいものだと考えるようになって来た。一年々々と生活の垢が浸みついて来たのだろう。その垢のついたことをめでたく思い、さきのような会話にも「なごやかさ」「愉しさ」を感じるとすれば、私は市井の平凡なものに民衆の大根を感じているのだろう。

ある知識婦人が二、三人寄っての座談の記事をこのごろ読んだことがある。全く虫酢のはしるような会話ばかりであった。その女のなかのある一人は、朝夕の飯の支度の煩わしさに、弁当屋から弁当を入れさせてみたが、カロリーが足りないので止めたとか、またある一人は、小説を書く為に良人と別居生活をしているとか、足袋のつくろいや洗濯仕事は、一生苦学しているようでつまらないとか、まるで井戸端会議式なことが論じられていたが、これが知識婦人であるだけに寒々としたものを感じる。

そのようなひとたちの良人になるひとこそさいなんだと考える。人参や大根を刻むことが道楽だといって片づけられているが、こんな荒っぽい女性に私たちはどんなキタイをかけたらいいのだろう。

林芙美子の他の作品