空気ポンプ
本文約7,000字 ・ 読了時間 約15分
あらすじ(AIが作成しました)
正九郎と加平は、留守番をしていた小僧を誘い出し、憧れの自転車屋でパンク修理を試みる。作業中に空気ポンプを壊してしまった二人は、店主の帰還と発覚を恐れて重い罪悪感に苛まれる。しかし、店主の留守中に客がポンプを何事もなく使用したことで、破損は発覚せず事なきを得る。無実が証明されたと悟り、心身の軽やかさを取り戻した正九郎は、報酬の卵を手に意気揚々と家路につく。
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一
村にはみるものがいくらでもあった。鍛冶屋、仕立屋、水車小屋、せんべや、樽屋。それから自転車屋など。それらはなんというすばらしい見物だったことだろう。それらの一つ一つが、半日立ちつくして見物していても、けっしてあかせないだけの魅力を持っていたのである。そしてまたなんどみてもそこで行なわれている細かい仕事はじゅうぶんわれわれを楽しませてくれたのである。
でだれでも子どもならば、鍛冶屋がどうして火をおこし、どうして鍬をうつか、仕立屋がどんなふうにミシンをまわし、どんな工合にエプロンのポケットをぬいつけるか、またせんべやのじいさんが、せんべをさしはさんだ、うちわようのものをどんな順序で火の上でひっくりかえすか細かいところまでよく知っていた。おそらくそれらの職人たち以上に。もし職人のかわりにその仕事をさせてもらえるなら、どんなに子どもたちは手ぎわよく、一つとしてまちがいを起こさないで仕事をやってのけたことだろう。
だがおとなたちはちっともそれを信じてくれない。子どもをまるではえかなんぞのように思っている。なかなか手つだわしてさえくれないのである。遊んでいる金槌をこっそりにぎったりすると、鍛冶屋のおやじは油汗で黒く光っている額にけわしいしわをつくっていうのだった。
「あぶねえ。子どもはあっちいいって遊ぶんだ!」
ときにはどうした風のふきまわしでか職人が手つだわせてくれることがある。たとえばふいごをおさせたり、つながったせんべを細かくくだかせたり。そんなときの喜びはまたかくべつである。何しろおとなの仕事にたずさわっていることになるのだから。しかしこの喜びも、ちょっとしたおとなの気持ちの変化でたちまちおじゃんになってしまう。おとなはちっとも子どもの気持ちを理解してくれないのである。