津の国人
本文約32,700字 ・ 読了時間 約66分
あらすじ(AIが作成しました)
津の国兎原の山下に住む夫婦は、貧困のため別々の奉公先へ赴くこととなる。夫は都での宮仕えが決まり、妻の筒井も別の官人に仕えることが決まった。再会を誓い渡舟で別れた二人は、五年もの歳月を過ごす。やがて貞時という若者の家で懸命に働く筒井のもとに、ある夜、四年前の夫が訪ねてくる。夫婦は裏戸越しに和歌を詠み交わし、互いの変わらぬ愛情と苦労を確かめ合ったのち、再び宿命的な別れを迎える様子を描く物語。
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あらたまの年の三年を待ちわびて
ただ今宵こそにひまくらすれ
津の国兎原の山下に小さい家を作って住んでいた彼に、やっと宮仕えする便りが訪ずれた。僅かの給与ではあったが、畑づくりでやっとその日を過している男には、それが終生ののぞみであっただけに、すぐにも都にのぼりたかった。けれども衣服万端の調度にこと欠いている彼に、どうして道中のいりようを作っていいかさえ、見当の立たないものがあった。自家の畑物をみんな食べてしまっている哀れな夫婦に、手の尽しようのない貧乏が永い間くい込んでいた。
月のいい夜であった。一束の白い菜をかかえた夫は、簀の子のうえに白い菜を置いたが、筒井はそれがどうして手にはいったかを尋ねるには、あまりに解り切ったことだった。
「固く塩せよ。」
夫の顔は気色ばんで、少し昂奮しているようだった。
筒井は蔀をしめに立ち、男は誰かに弁解するようにいった。
「あまり月がいいものだからつい、……」
「ご尤もにございます。」
「白い茎が一面にならんでいてそこに射す月の光じゃ、我を忘れて白い菜に手がふれた。」
「畑物に月がさしたらそれはみな仏の座のように申します。それに、間もなく宮仕えに発たれるあなたさまに、誰が何を申しましょうぞ。」
「では固く塩して?」
「はい。」
妻の筒井が白い菜をかかえて去ったあと、彼は手にふれた白い菜の冷たいゆたかさをたなごころに再び感じた。誰があんな美しさを辞退することが出来よう、花もそうであるし、こがねいろをしている橘の実もそうであった。きしむような白い菜の幅の広い茎は妻のただむきのように美しかった。決して辞退できるものではない、彼は蔀の破れから、もうもうとこめる秋夜の月を眺めやった。