聖ぷりずみすとに与う
本文約1,200字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
尊兄の詩篇に見られる鋭角な玻璃状韻律や、寒厳な風景に溶け込む独特の視覚的表現を論じる。既成の詩にはない鮮烈な景情を創造する一方で、世間から難解であると評されるその芸術の本質を考察する。他者に理解されることを拒絶し、孤独に自身の内的な光と相対し続ける創作姿勢を認め、極めて個人的で純粋な詩の世界を追求し続けるべきであると激励する書簡である。
💰 この本を応援する(投げ銭)
尊兄の詩篇に鋭角な玻璃状韻律を発見したのは極めて最近である。其あるものに至っては手足を切るような刃物を持っている。それは曾ての日本の詩人に比例なき新鮮なる景情を創った。たとえば湧き上るリズムをも尊兄はその気禀をもって中途で斬ってしまう。又多く尊兄に依って馳駆される詩句のごときもまったく尊兄の創造になるものである。寒厳なる冬の日の朝、眼に飛行機を痛み、又、遠い砂山の上に人間の指一本を現実するは必ずしも幻惑ではない。尊兄にとっては女人の胴体のみが卓上に輝いていることを常に不審としないところである。他人が見て奇蹟呼ばわりするものも尊兄にはふだんの事だ。尊兄の愉楽はもはや官能や感覚上の遊技ではない。まことに恐るべき新代生活者が辿るものまにあの道である。玻璃、貴金属に及ぶ愛は直ちに樹木昆虫に亘り、人類の上に拡がっている。[#「拡がっている。」は底本では「拡がっている」]尊兄は曾て昆虫に眼をあたえてからもう久しくなった。[#「久しくなった。」は底本では「久しくなった」]今、尊兄は怪しき金属の内部にある最も緻密な幽暗な光と相対している。今、尊兄は癲癇三角形の上に登っている。まことに尊兄の見るところに依れば珈琲茶碗はへし曲り、テエブルは歪んでいる。
真に厳粛なるものは永遠の瞬間である。尊兄は自然人間に対して充分に厳格なまなこを持っている。その気禀の余りに熾烈なるために物象を睨んで終ることがある。おどかして見ようとする心は正しき心ではない。[#「正しき心ではない。」は底本では「正しき心ではない」]私は尊兄の詩品におどかしを見るときほど不愉快なことがない。そのとき尊兄に憂鬱が腐れかかっている。態度のみで終るのだ。