死の淵より
本文約17,900字 ・ 読了時間 約36分
あらすじ(AIが作成しました)
食道ガンの手術後、気力の持続が困難な状況下で、病室でのメモをもとに書き綴られた詩編。著者は退院後の療養期間において、死を意識した日常や、かつての記憶、そして人間としての苦悩を詩という形式で表現する。「死の淵より」と題された本書は、死を終りではなく始まりとして捉え、死と直面する精神のあり方や、はかない人生の旅路について描き出す作品である。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
[#ページの左右中央]
死の淵より
[#改丁]
[#ページの左右中央]
[#改丁]
食道ガンの手術は去年の十月九日のことだから早くも八ヵ月たった。この八ヵ月の間に私が書きえたものの、これがすべてである。まだ小説は書けない。気力の持続が不可能だからである。詩なら書ける――と言うと詩はラクなようだが、ほんとは詩のほうが気力を要する。しかし持続の時間がすくなくてすむのがありがたい。二三行書いて、あるいは素描的なものを一応書いておいて、二三日おき、時には二三週間、二三ヵ月おいて、また書きつゞけるという工合にして書いた。
千葉大の中山外科から十一月末に退院した。手術後の病室で書かれた形の詩をこのに集めた。形のというのは病室で実際に書いた詩ではないからだ。手術直後にとうてい書けるものではない。気息えんえんたる状態のなかでそれは無理だ。しかし枕もとのノートに鉛筆でメモを取った。それをもとにして退院後書いたのが、これらの詩である。そこでやはり病室での詩ということにした。
肋膜の癒着もあったせいか、手術はよほどヘビイなものだったらしく三時間近くかかった。爪にガクンとあとが残り、それが爪がのびるとともに消えるのに半年近くかかった。詩が書けはじめたのは(さきに退院後と書いたが実際は)その半年すこし前のことである。
「死の淵より」という題の詩をひとつ書こうと思ったのだが、できなかった。できたら、それを全体の詩群の題にしようと思っていた。それはできなかったのだが、全体の題に残すことにした。
(昭和三十九年六月十七日、再入院の前日) [#改ページ]
死者の爪
つめたい煉瓦の上に
蔦がのびる
夜の底に
時間が重くつもり
死者の爪がのびる
[#改ページ]
三階の窓
窓のそばの大木の枝に カラスがいっぱい集まってきた があがあと口々に喚き立てる あっち行けとおれは手を振って追い立てたが 真黒な鳥どもはびくともしない 不吉な鳥どもはふえる一方だ おれの部屋は二階だった カラスどもは一斉に三階の窓をのぞいている