山へ入る日・山を出る日
山へ入る日の朝は、あわただしいものである。
いくら前から準備していても、前の晩にルックサックを詰めて置いても、いざ出発となると、きっと何か忘れ物があったのに気がつく。忘れ物ではなくとも、数の足りぬ物があるような気がしたりする。すっかり足ごしらえをした案内や人夫が、自転車で走り廻る有様はちょっと面白い。
それもまア、どうにかこうにか片づいて、いよいよ歩き出す。たいていの場合、町なり村なりを離れると、林の中か野原を横切って行くのだが、二、三時間も歩くと、くたびれて了う。一つには身体の鍛練が出来ていないからで、二つには暑いからである。草のいきれ程うれしからぬ物はない。
時々馬にあう。林の中の路を、荷をつけた馬だけがポカポカやって来るので、驚いていると、大分あとから呑気そうな顔をして、樵夫が来たりする。一本路だし、馴れてはいるし、すてといても馬は家へ帰るのであろう。路はだんだん狭くなる。馬の糞も落ちていないようになる。と、思いがけぬところに林を開いて桑が植えてあったりする。落葉松、白樺等の若葉が美しく、小さな流れの水を飲んでは木陰に休む。野いちごの実を見つけて食うこともある。
昼の弁当をつかう頃には、水もつめたくなっている。
かくて一歩一歩、山へ入って行くのだが、比較的路が容易なので連れがあれば話をするし、無ければ何か考えながら行く。連れがあっても、そう立て続けにしゃべるわけには行かない。時々は考えこんで了う。
私は大して臆病ではないつもりだが、山へ入る前には不思議に山のアクシデントを考える。何か悪いことが起りそうな気がしてならぬのである。そんな気持ちを持っていられる間は山もたのしみだろうと、ある友人がいったが、まったくそうかも知れない。一種のアドベンチュアをやっている気なのだから……。従って山へ入る日の私は、決して陽気ではない。むしろ憂鬱な位である。そして最初の夜は、殊にそれが野営であれば、とても淋しく、パイプをくわえたまま吸いもしないで、ボンヤリ焚火の火を見つめては、子供のことを考えたりする。