山を思う
本文約78,700字 ・ 読了時間 約158分
あらすじ(AIが作成しました)
登山の象徴であるアイスアックスに対する著者の愛着や、山での経験、山で出会った人々について綴る随筆集。著者は、自身の登山用具であるアイスアックスを単なる道具としてだけでなく、登山の魂や山を想う象徴として大切に扱う。また、山における過酷な自然や、そこで生きる人々の姿、文明生活から離れて自然へ回帰する喜びを、個人の体験や考察を通して描写する。昭和初期の登山風景や人々の生活を背景に、山への真摯な情熱を収める。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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アイスアックス
「私のアイスアックスはチューリッヒのフリッシ製」……と書き出すと、如何にも「マッターホーン征服の前日ツェルマットで買った」とか、「アルバータを下りて来た槇さんが記念として呉れた」とかいう事になりそうであるが、何もそんな大した物ではなく、実をいうと数年前の夏、大阪は淀屋橋筋の運動具店で、貰ったばかりのボーナス袋から十七円をぬき出して買ったという、甚だ不景気な、ロマンティックでない品なのである。だが、フリッシ製であることだけは本当で、持って見ると仲々バランスがよく取れている。その夏、真新しくて羞しくもあり、また、如何に勇気凛々としていたとは言え、アイスアックスをかついで大阪から汽車に乗りこむ訳にも行かないので、新聞紙に包んで信州大町まで持って行った。この時は針ノ木峠から鹿島槍まで、尾根を伝うのだから大した雪がある筈は無く、真田紐で頭を縛って偃松の中や岩の上をガランガラン引ずって歩いたもんだから、石突きの金具や、その上五六寸ばかりの処がザラザラになって了った。
この年から大正十五年の六月まで、私のアイスアックスは大町の対山館に居候をしていた。居候と云っても只安逸な日を送っていたのではなく、何度か対山館のM氏に伴われて山に行った筈である。今年六月、まる二年振りで対山館へ行って見たら、土間の天井に近い傘のせ棚に、大分黒くなった長い身体を横たえていた。即ちこれを取り下し、大町から針ノ木峠、平、刈安峠、五色ガ原、立山温泉、富山という旅行に使用した。非常な雪で、また大町――富山の大正十五年度の最初の旅行だったので、アイスアックスが大いに役に立った。
富山から同行者二人は長野経由で大町へ帰り、私は直接大阪へ帰ることになった。従ってアイスアックスも大阪へ帰って来たが、何もすることがない。戸棚の隅でゴロゴロしている丈である。時々令夫人が石突きで石油の鑵をあけたり、立てつけの悪い襖をアックスを用いてこじあけたりする。山ですべてを意味するアイスアックスも、大阪郊外の住宅地では、かくの如く虐待されている。