飢えは最善のソースか
本文約2,500字 ・ 読了時間 約6分
あらすじ(AIが作成しました)
「飢えは最善のソース」という西洋の諺を軸に、食事の記憶を綴る随筆。著者は六十年を越す自身の経験を振り返り、空腹に寒さや達成感、安堵感などの要素が加わることで、ありふれた食事がいかに記憶に残る味わい深いものへと変化するかを論じる。山登りの際の素朴な食事や、太平洋戦争末期のジャングルでの極限の食生活、終戦時の体験談を交え、空腹単独ではなく、飢えにプラスアルファの何かが重なる時こそが最上のソースになると説く。
💰 この本を応援する(投げ銭)
この雑誌にこんなことを書くと、皮肉みたいに思われるかもしれないが、西洋の諺、「飢えは最善のソース」には、相当の真理が含まれている。
一流の料理人が腕をふるってつくり上げたソースをかけて食えば、料理はうまいにきまっているが、それよりも腹のへった時に食うほうがうまい、という意味である。
六十年を越す生涯で、いろいろな場合いろいろなものを食ってきたが、今でも「うまかった」と記憶しているものはあまり沢山ない。そのなかで飢えをソースにしたものをちょっと考えてみると、中学校の時、冬休みに葉山へ行っていて、ある日の午後何と思ってか横須賀まで歩いた。着いた時は日暮れ時で寒く、駅前のそば屋で食った親子丼が実にうまかった。しかしこれは飢えばかりでないプラス寒気で、湯気を立てる丼飯を私の冷えた体が歓迎したのだろう。
大人になってからも似たような経験をした。毎日新聞の記者として芦屋に取材に出かけ、晩方の九時頃仕事を済ませて、やはり駅に近いそば屋でテンプラそばを食った。これも冬だったが、七味唐辛子をウンと振り込み、最後に汁を呑んで咽喉がヒリヒリしたことまでおぼえている。これは飢えプラス寒さプラス仕事を終った満足感である。
大正十二年の大震災の時には大阪にいたが、生れ故郷が東京なのですぐ行けと命令され、中央線廻りで上京した。その途中笹子のあたりで山津波があり、汽車が半分埋まってしまった。その泥の流れのなかを歩いてぬけて、ちょっとした高台にある村にたどりつき、一軒の飲み屋で酒を所望すると、ぜんまいを一緒に出した。もちろん干したぜんまいをもどし、煮干しで味をつけた物だが、その煮干しのガサガサした歯ざわりさえ憶えているのだから、相当感銘したに違いない。この場合は飢えプラス山津波を逃れた安心感だろう。親子丼、テンプラそば、ぜんまいと、実にありふれた食物だが、飢えプラス何物かが最上のソースになったのである。
私が冒頭で「相当の真理」といったのはこれなのである。つまり飢え単独では腹がはった満足はあっても、決して「うまい」とは感じない。
*