暗い水のほとりで蝋燭の燈が光つてゐる。ほんのさつき、最後の夕映が、遠く刷き消されていつたとおもふと、水の上を一日ぢゆう漂うてゐた布袋草も靜かに何處かの水邊で、今夜の宿りに停つてしまふに違ひない……。漕ぎ出てゐる小舟の楫の音がいやにはつきりと聞える靜けさだ。ぴちやぴちやと水の音は聞いてゐる者のこゝろの芯にまで吸ひこまれるやうに、たまらない人戀しさと、淋しさを誘つて來る。時々、家のまはりの唸り木がざわざわとゆれてゐた。――球江は裸で白い蚊帳のなかに腹這つてゐた。長い枕のやうなダッチワイフに兩足をのせて、まるで蛙を引き伸ばしたやうなかつかうでジャワ人の女按摩に躯を揉んでもらつてゐた。女按摩は球江の躯ぢゆうに椰子油をぬるぬると塗りたくりながら、固い掌でゆるくのの字を書くやうなしぐさで、油で濡れてゐる背中を揉んでゐる。大判のタオルに顏を押しつけて、球江は手離した子供のことを考へてゐた。隨分遠いところへ來てしまつたものだと思つてゐる。もうこのまゝ内地へは復れないやうな氣さへしてくる。どんよりと重苦しいほど暑くて、それに、やかましく食用蛙が啼きたててゐるせゐか、考へることは少しもまとまつて瞼に浮きあがつてはこない。廣島の港を離れるときは雨が降つてゐたかしら……。四ヶ月前の、けなげな自分の旅のすがたがいまでは人のことのやうに思ひ出されるだけだつた。バリトの廣い河口へ船がはいつて來たのは夕方だつたかしら……。マングロープの茂つた土手沿ひに、赤く濁つた水の上を船はゆるく滑つてゐた。うつゝからうつゝへ、季節のまるでない妙な季節が、他愛もなく球江の思ひ出のなかに、獨樂のやうに毎日同じところをぐるぐるとまはつてゐるのだ。内地を發つてからまる四ヶ月は過ぎてしまつた。この南ボルネオのバンヂャルマシンといふ處へ來て、休みなく毎日毎日夕方には雨が降つた。それがまるで細引のやうな太い雨で、暑い處なので、雨は湯煙をたててゐるやうな激しさで四圍が乳色に染つてくる。このやうな處へ働きに來る女たちといふものは、内地で散々苦勞をした擧句の果てに來たと思はれるやうな者が多かつたけれども、球江だけは、もののはずみで、人に誘はれて、こんなところへ來てしまつたといつた風な女であつた。球江は髮結ひの娘であつた。兄は中國と戰爭が始まると同時に出征して、ウースン上陸で戰死してしまひ、次の兄は戰爭を怖ろしがつて、自分から進んで軍需會社へ勤め口をみつけて水戸の工場へ行つてしまつた。球江はそのころ女學生であつたけれども、これも學業はそつちのけで、毎日全生徒が學校から工場通ひをしなければならなくなつてくると、球江はつくづくそんな生活が厭になつてきて、あと一年で卒業だといふ時に、母親には默つて學校をやめてしまふと、上野驛の食堂へ給仕女の職をみつけた。こゝでコックのやうなことをしてゐた松谷と知りあひ、上野驛近くの宿屋で時時あひゞきをかさねてゐるうちに、球江はたうとう姙娠してしまつた。球江は六ヶ月近くまで自分が姙娠してゐるといふことは知らなかつた。松谷に變だと云はれて、始めて躯の調子がをかしいと思つたくらゐで、まだ十七だつた球江には、自分の躯の異状がそんなに氣にかゝつてはゐなかつた。家出をして松谷の下宿に一緒に住むやうになつてはじめて、球江は自分の運命といふものがだんだん正常でないことに氣づき、何となく物哀しい氣持ちになつてゐた。十八の春、球江は松葉町の小さい産院で女の子を生んだ。子供が生れると、松谷は球江に相談もしないで、まだ球江が産院にゐる間に子供を王子の方へくれてしまつた。球江はまだ若かつたので、子供へのみれんもあまりなかつたけれども、人の手に渡してしまふといふことは何となく不愍で仕方がなかつた。親のところを逃げ出したまゝだつたので、配給のない球江は、松谷から食べものの工面をしてもらつて生きてゐるやうな始末であつた。松谷が勤めに出た間は、一日部屋にこもつてごろごろしてゐることが、球江には退屈だつたので、或日近くの桂庵を頼つてゆき、熱海の旅館の主人だといふ女にあつて、窮屈な内地の生活のなかであくせくしてゐるよりは、一つ南へ進出して働いてみてはどうかとうまいことを云はれて、球江は急にそんな氣になり、支度料としてその女主人から二千五百圓の金を貰つた。千圓を母親へ送り、あとの千圓を松谷の下宿へ殘しておいて、誰にも默つて、球江は自分と同じやうな仲間の女達五人ばかりと廣島へと發つて行つたのだつた。