「君死にたまふことなかれ」
本文約2,100字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
明治三十七年に雑誌「明星」へ発表された与謝野晶子の詩「君死にたまふことなかれ」を題材に、著者が堺の町に漂う歴史の面影と戦争への反抗を論じる随筆。著者は晶子の生家である菓子屋や古びた町並みから詩の背景を辿りつつ、労働争議や軍需生産が続く現代の堺の状況を重ね合わせる。かつて詩に託された戦争への反対感情が、形を変えて現代の社会運動にも通底していることを考察し、詩と堺という土地の記憶を分かちがたく結びつけて綴る。
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明治三十七年九月号の「明星」と云ふ雑誌に有名な詩「君死にたまふことなかれ」が載つた。その第三聯に
堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたまふことなかれ。
――とある。そんなことには迂遠な僕が詩なんぞを引用すると、人は実に滑稽に思ふかも知れぬが、堺市大小路と宿院との間に、古びた構へで、昔風にこじんまりした老舗の菓子屋の前を通る時、必ずこの詩を思ひ浮べるのである。それは駿河屋と云ふ屋号が暖簾に見られ、姓を鳳と名のつて、名物の芥子餅や長崎カステイラなぞを商つてゐる。当世風なところは微塵もなく、いつも西日がその閉め切つた硝子戸にあたつてゐるやうな寂しさを感じさせ、閑散としてゐて客人の姿も見たことはない。「旧家をほこり」年老いた人のやうに静かに坐つてゐる。――云ふまでもなく、この詩の作者、与謝野晶子氏の生家なのである。
大和川と云ふ川――雨が降ると濁つた水が烈しい勢ひで流れ、晴れた日には急に干あがつて了つて、白い洲が川幅を極度にちぢめ、砂採取人や戯れる子供たちの足跡がいつまでも消えずに一すぢに印されてゐる――その川が大阪市と堺市との境界である。だから、近代資本主義都市として頂上にまで発達しつくした都会の隣りに、川一つ越すと、徳川時代そのままの堺の町があるのに、大抵の人は驚くのである。古い開港場。低い、だががつしりとした材木と壁とで作られた格子のある家並み。酒造りの旧家も多く、稍々妖怪ぢみた大きな酒倉や広場に乾してある酒槽。町を流れる線香のにほひ。柳と木橋。誰も通らぬ寺と寺との間の長い道。くづれた土塀。文明も浅くて、ハイカラな色彩も稀である。――そんな町であるからして、駿河屋のやうな孤影も全体と調和して別に人の眼を惹かないのである。あの詩の中には、また――
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。