一の酉
本文約14,000字 ・ 読了時間 約29分
あらすじ(AIが作成しました)
湯屋で働く十七歳のおしげは、店で以前ほどの人気を失い苛立つ主人の妹・おきよから、義姉に対する対抗心を焚き付けられる。自身の母親に対する不信感や、馴染みの客である秀一への複雑な思いを抱えるおしげは、周囲の人間関係や抑圧的な環境に疲弊していく。初酉の夜、おしげは気分転換を求めて秀一と共に鷲神社へ向かうが、混雑する群衆の中で下駄をなくし、混迷を深める人間模様の中で翻弄されていく様子を描く。
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帯と湯道具を片手に、細紐だけの姿で大鏡に向ひ、櫛をつかつてゐると、おきよが、ちよつと、しげちやん、あとで話があるんだけど、と云つた、――あらたまつた調子も妙だが、それよりは、平常は当のおしげをはじめ雇人だけではなく、実の妹のおとしや兄の女房のおつねにまでも、笑ひ顔一つ見せずつんとしてすまし込んでゐるのに、さう云ひながら、いかにも親しさうな眼つきでのぞき込んだのが不思議であつた。
「なにさ」――生れつき言葉づかひが悪くて客商売の店には向かぬとよくたしなめられるのだが、この時も相手が主人すぢの女にもかかはらず、おしげはぶつきら棒に云つた。
おきよは、もう男衆が流し場を磨き、湯桶を片づけはじめた中で、ゆつくり襟白粉をつけてゐる妹たちをちらと見て、さア、二人でさきに出ちまはうよ、と促した、何が何だか判らないままに、おしげは押されるやうにして湯屋の表へ出た、もう冬近く、すぐに初酉なのに今年は例年よりあたたかくて、吹く風も湯あがりの上気した頬に快かつた、馬道の大通りにまだ起きてゐる支那ソバや十銭のライスカレーを食はせる店があつた、おごるわよとおきよはガラス戸を開けた、公園の稼ぎから帰る小娘や、自動車の運転手たちが夜食をしてゐるのを横眼に、汚れたテーブルにつくと、おきよはメニューを眺めながら、あんた何がいい、と聞いた、さうねえ、とおしげは壁の品書を見上げて、私、トーストをいただくわ、ヂャミの、とそこはやはり御馳走になるので丁寧に答へた。
おきよは肘をついて、ぢつと彼女に眼を注いだ、いやよ、そんな、――とおしげは指さきで眼頭を触つた、同じ店で客相手に働いてゐても主人の妹であるのを笠にきてゐる彼女は、いくらおしげが虫が好かないひとだと思つてゐても、かうやつてゐると年上ではあるし、評判の美しさに圧されるのであつた。
「何ですの、――御用つて」
気がかりだから、早く云つてと促した。
「――あんた、この頃、いやにめかすのねえ」