ひかげの花
本文約47,600字 ・ 読了時間 約96分
あらすじ(AIが作成しました)
三十六歳のお千代と、不甲斐ない生活を送る重吉は、つつましく共同生活を営む。私娼として稼ぐ彼女は、やがて女給の職を求めて彷徨うが、その実情に倦む。ある日、疎遠であった娘のたみこが現れ、母娘は同居生活を始めることとなる。生活のために稼ぐ母の姿と、過去の記憶を抱えながら不安定な日々を過ごす娘の心情を、市井の生活の断片として淡々と描く。
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一
二人の借りている二階の硝子窓の外はこの家の物干場になっている。その日もやがて正午ちかくであろう。どこからともなく鰯を焼く匂がして物干の上にはさっきから同じ二階の表座敷を借りている女が寐衣の裾をかかげて頻に物を干している影が磨硝子の面に動いている。
「ちょいと、今日は晦日だったわね。後であんた郵便局まで行ってきてくれない。」とまだ夜具の中で新聞を見ている男の方を見返ったのは年のころ三十も大分越したと見える女で、細帯もしめず洗いざらしの浴衣の前も引きはだけたまま、鏡台の前に立膝して寝乱れた髪を束ねている。
「うむ。行って来よう。火種はあるか。この二、三日大分寒くなって来たな。」と男はまだ寐たまま起きようともしない。
「今年も来月一月だもの。」と女は片手に髪を押え、片手に陶器の丸火鉢を引寄せる。その上にはアルミの薬鑵がかけてある。
「うむ。月日のたつのは全く早いな。来年はおれもいよいよ厄年だぜ。」
「そう。全く憂欝になるわよ。男は四十からが盛りだからいいけれど、女はもう上ったりだわ。」と何のはずみだか肩を張って大きな息をしたのが、どうやら男には溜息をついたように思われた。
「誰だって毎年年はとるにきまっているからな。」と男は俄に申訳らしく、「まアいいやな、こうして暮して行けれァ何も愚痴を言う事はない。別に大した望みがあるじゃなし……なアお千代、おれは全くこうして暮していられれば結構だと思っているんだ。」
「それはそうよ。だけどこうして暮して行けるのも永いことはないわよ。もう……。」
「もう。どうして。」
「どうしてッて。わたしとあんたとはいくらも年がちがわないんだもの。わたしの方じゃ稼ぐつもりでもお客の方が……。」と言いながら女は物干台の人影に心づいて急に声をひそめる。男は夜具から這出して、