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TORENDIA

馬鈴薯の花

本文約1,700字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

函館のトラピスト女子修道院周辺で、馬鈴薯の花を眺め散歩した記憶を綴る。あわせて、駒ヶ岳の太平洋岸に広がる、噴火の傷跡を残した荒涼たる原始の風景を描く。観光地化されていない、荒けずりで荒涼とした土地の様相と、そこに咲く馬鈴薯の花の清楚で凜とした姿を対比させ、厳しい自然の中で生きる人々の生活や、風景が持つ根源的なあり方について思索を巡らせる。

亀井勝一郎

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🎧 馬鈴薯の花 / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

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北海道の花といえば、誰でもまず鈴蘭を思い出すだろう。私の小学生中学生時代には、湯ノ川のトラピスト女子修道院の、はるか前方の丘はすべて鈴蘭畑であった。自由にそこへ行って、好きなだけ摘んでこれたが、いまはどうなっているか知らない。消滅してしまったのではなかろうか。

しかし鈴蘭よりもっと私の好きな花は馬鈴薯の花である。函館の東部、湯ノ川から二十町ほど歩いてゆくと、そこにトラピスト女子修道院があるが、この付近はすべて馬鈴薯畑か、とうもろこしの畑である。北海道の馬鈴薯は有名だが、あの花を注意する人は少いようだ。薯の方だけ注意しているが、六月頃から、そろそろ可憐な花が咲きはじめる。白と紫がかったのと二種類あるが、決してはでな花ではない。厚ぼったい花びらで、それがやや外側をむいて、小さく、つつましく咲いているだけだ。平凡と言えば、こんな平凡な花はあるまい。しかし、よく見ていると、実に清楚だ。ういういしい百姓の娘の、耳朶のような花だ。

修道院へ行く道の左右の、馬鈴薯畑の花のさかりの頃、私は馬鈴薯の花見と称してよく散歩した。この花の感じは、周囲の雰囲気にもよるだろう。東京の郊外でみてはそれほどではないかもしれない。修道院の赤煉瓦の塀とか、セイロのある牧場とか、高いポプラの並木を通して白い雲の流れてゆくその下に、この花をみたとき、はじめて感じが出てくるのかもしれない。

函館の郊外と言ってもいいが、そこに大沼公園がある。前(略)に述べた駒ヶ岳のふもとである。

しかし私は駒ヶ岳の裏側、つまり太平洋に面した裾野一帯が好きである。札幌から汽車で函館へ向うときここを通過するが、荒涼として淋しい風景、いや風景とも言いきれないほど荒けずりで、すさまじいすがたは見ものである。

駒ヶ岳は時々噴火するので、頂上はむろん、裾野全体にわたって樹木は非常に少い。

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