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TORENDIA

時の流れ

本文約4,000字 ・ 読了時間 約9分

あらすじ(AIが作成しました)

時を過去・現在・未来に分け流れるものと捉える一般的な考え方は、実体がない抽象的な概念に過ぎない。本作は、時そのものの中に生きる「独尊者」という視点から、過去や未来を追う歴史観を批判する。独尊者の生の痕跡こそが時であり、現実から切り離された抽象概念ではなく、直観を通じて実体を把握することこそが、時と歴史の真の意味を理解し、真実に生きる道であると論じる。

鈴木大拙

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🎧 時の流れ / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

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「時」は流れると云ふ、それはどんな意味であるか、もとよりはつきりわからぬ。が、我々は普通さう云ふ、またさう考へて居る、何だかわからぬにしても、時を過去・現在・未来にわけると、その「流れ」は過去から現在に、現在から未来へと云ふ塩梅に、どん/\流れて行くと云ふことになつて居る。

「時」を刻むと云ふ時計なるものがある。カチと響いてしまへば、それが過去で、カチ/\とやつて居るときが現在で、まだカチとも何とも云はぬときが未来だと云ふ。併し少し考へて見ると、これほど曖昧なことはない。なぜかと云ふと、このカチなるものを捉へることほど困難なことはないのである。カチときくとき、それは既に過去であり、まだきかぬと云へばそれは未来である。現在は過去が未来に転ぜんとする刹那がそれだと云ふが、その刹那はいつも移動性をもつて居る。アッと云ふ間もなく「刹那」はもうそこにないのである。現在ほど現実なものはないと云ひつつも、その現在ほど捉へ難いものはない。捉へ「難い」ではなくて、その実は捉へ「能はぬ」である。現在が既にさうだとすれば、その現在を基点として、過去と未来とを語らんとする人間の考へは、極めて浮動性を帯びて居ると云はなければならぬ。浮動性と云ふよりも寧ろ極めて抽象的だと云つてよい。現在・過去・未来などと云つて、「時」を刻むのは人間の考への実際的便利の上から云ふので、その実これほど「事実」に即せぬ、非具体的なものはないのである。

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