小林多喜二のお母さん
本文約1,300字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
小林多喜二の母の激動の半生と、亡き息子への深い思慕と怒りを綴る。秋田から北海道への過酷な移住、貧困の中での生活、そして上京し作家の道を歩んだ息子の背中を見守った日々を回顧する。やがて息子が執筆した作品を通して世界的な階級闘争の火付け役となる過程や、権力に抗い命を捧げた息子の意志を受け継ぐ母の姿を浮き彫りにする。十九年の歳月を経てなお燃え続ける母の悲しみと、平和への願いを込めた祈りの記録である。
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小林多喜二のお母さん
あなたの長男である多喜二さんが死なれてから
十九年の日が流れています
そして
あなたは八十才になられました
この十九年の年月は
お母さんにとって
どのようなものでありましたでしょう
戦争が敗けて
日本共産党の人たちが赤い旗をかかげて
刑務所から出てきた時
あなたの喜びとかなしみはどんなでありましたでしょう
その人たちが子供も育っている家庭を形作っているのをながめられたときの
あなたの気持ちを思います
お母さん
多喜二さんがはじめて上京されたのは
昭和五年の一月でした
かがやかしい文学的抱負にもえ
お母さんを伴って上京されました
吹雪の北海道から
晴れ上がった東京へ来られた時
お母さんはしあわせに思われたでしょう
或る夏のあつい日にお訪ねすると
裸で原稿を書いておられる 多喜二さんの背中を
お母さんはウチワで風を送っていられました
下積みのくらしのほこりの中に
愛と働きとを一すじに堪えてきた
やさしい目 力をこめた骨ばったアゴ 肩 手
勤労と献身の愛の中に
あなたの息子は
チビタ下駄 破れたマント
こごえた手に 息を吹きながら育って行った
一文菓子やの ガタガタ と窓ガラスが鳴る 半こわれの二階の雪あかりの中で
多喜二さんは たくさんの文学をよみながら 学びながら
作家になる志をつよめてゆかれ
そして書きはじめた
多喜二さんが五つの時
生まれた秋田の村から北海道へ移民に出かけた日の
淋しい親子の姿
死んだお父さん トロッコを押したお母さん
すぐに空になった米ビツのこと
そして
次々と 書きすすんでゆかれた
三・一五 カニ工船 不在地主 地区の人々 党生活者
これらの作品は
世界プロレタリアートの起ち上がりを駆り立てています
人間のふしあわせは 働いても働いても食えないということも
一握りの人間の権力がたくさんの人間を
一束にして圧しつけているということのためであって
この一握りの横着非道な権力を
たおしつぶしてしまわない限り
一つのかけら石をも とりはらうことをできないということ
しかも一つのかけら石をとりはずすためにも
命をかけて起ち上がらねばならないということを
多喜二さんは その作品の中に
実際の行いの上に生かし示されたのです
多喜二さんは