森先生の事
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あらすじ(AIが作成しました)
森先生の生涯と研究は百科事典のように広大であり、著者は批評家、翻訳家、戯曲家など多面的な文学者としての姿を振り返る。本書は、日本の文学を復興させつつも文壇に対して傍観者の態度を貫いたその文学精神を綴る。江戸時代や硯友社、大正現代の文学を批判的に考察しながら、官職にありながら詩文を能くした先生の作品に宿る気品を、現代日本文学の精髄として描き出す随筆である。
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森先生の事に關してわたしは一時にいろ/\の雜誌や新聞から執筆を請はれてゐるが、今の場合何を書いてよいものか殆ど考をまとめる事ができない。もすこし時日を經た後でなければ何も書く氣にはなれない。
森先生が六十年の生涯と其の間に研究された學藝とは宛ら百科辭典の如くに廣大なものである。
わたしの窺ひ知る事を得たのは僅に先生が文藝の一局面に止つてゐる。それさへ仔細に見ればまた頗る複雜なものである。文學者として森先生を見やうとするには、まづ批評家として、飜譯家として、戯曲家として、小説家として、漢詩家として、歌人として、それ/″\その著述を再讀した上でなければ、こゝには何も言ふ事はできない。
先生は新に日本の文學を復興させた人である。然し日本の文壇に對しては飽くまでも傍業家の態度を取つて居られた。これは日本の國情と文壇の氣風の如何を知らうとする場合、甚だ興味ある事である。
文學雜誌新潮は森先生の小説に對していつも卑陋なる言辭を弄して惡罵するを常としてゐた。殊に先生が「大鹽平八郎」の一篇を中央公論に寄稿せられた時新潮記者のなしたる暴言の如きは全く許すべからざるものであつた。
江戸時代の文學は遊冶郎の戯作であつた。硯友社の文學は才人一時の才筆に過ぎなかつた。大正現代の文學はその氣局見解の偏狹淺陋なる、要するに書生もしくは書生上りの人の文學である。紳士の文學もしくは士大夫の文學ともいふべきものは王朝のむかしは知らず、長く日本には存在しなかつた譯である。
支那歴代の詩人は李杜韓蘇のむかしより皆官職の人であつた。今日の外國には支那のむかしを見る如く其の身官途に在つて詩文を能くするもの、現に佛蘭西の大使のクロオデルの如きがある。フヮレルも亦ロチと同じく佛國海軍の士官である。李白杜甫の昔を思はせるもの現代の日本には一人森先生あるばかりであつた。