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TORENDIA

ひとの不幸をともにかなしむ

本文約1,400字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

「ひとの幸福をともによろこび、ひとの不幸をともにかなしむ」という言葉を心に留めるに至った経緯と、その指針についての内省を綴る。若き日の闘病中に盤珪和尚の法語と盲人の逸話から受けた感銘、さらに自身の長男が狂気するという家庭の危機を経て、この言葉が自らの道徳観や念仏の信仰と結びつき、より切実な意味を持って再浮上する過程を描く。他者への同調を理想としながらも、自らがそれを全うできずにいる苦悩と決意を記す随筆である。

吉野秀雄

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🎧 ひとの不幸をともにかなしむ / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

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いまわたしの胸の奥にあることばは、

ひとの幸福をともによろこび

ひとの不幸をともにかなしむ

といふものだ。(「ひと」とは〈人間〉の意でなく〈他人〉の意)。わたしはもとより道徳なんて説くがらではないし、処世訓・座右の銘なんて大きらひなはうだが、ここのことばは、いつしかわたしの心にしみついてゐること、そして最近、後にいふある事情から、いつさうはつきり意識されてゐることもまた事実なので、問はれるままにいつてみたまでだ。他に語り、他にすすめるのではなく、自分がさうありたいとねがつてゐるにすぎない。

なになにの書物に出てゐたといふやうなことばではない。さりとてわたしの手製のことばといふのでもない。その因縁はかうだ。

昭和の初年――といへば、わたしがまだ若くして結核を病んでゐたころだが――はじめて盤珪和尚(一六二二―一六九三)の仮名法語を読み、幼稚な程度ながらも、不生禅の説法にひどく感動した。そのをり、あはせて長井石峰の『正眼国師盤珪大和尚』といふ評伝も読んだが、この本の中にかういふ話が出てゐた。

盤珪在世の当時、姫路に一人の盲人あり、ひとの音声をきいてその心事をさとる天才をもつてゐた。盲人のつねにいふには、

賀詞にはかならず愁ひのひびきを帯び

弔詞にはかならず喜びのひびきがこもる

と。さらに盲人は語を継ぎ、人心の機微はかうしたものであるが、盤珪和尚だけはべつで、師の音声を聞くに、得失・毀誉・尊卑・上下のどういふ場合にも異色を容れず、やはらぎにみちた妙音声であつて、師に接する者、その声を聞いただけで信に入ることもむべなるかなである、といつたといふ。

道元禅師が正法眼蔵に〈愛語〉を説き、大愚良寛が〈愛語〉の体行をもつて生涯の課題としたことをもおもひ合せ、かういふすぐれた人々の音声は想像するだにすがしく、たのしく、同時に、こんにちテレビ・ラジオに〈美声〉はあつても、〈良声〉〈善声〉のじつに乏しいことまで嘆かれるが、話をもとにもどさう。

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