TRENDIA CLASSIC
悲しみの代價
横光利一
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一
彼は窓の敷居に腰を下ろして、菜園の方を眺めてゐた。
「あなたお湯へいらつしやる?」と妻が勝手元から、訊いた。
彼は默つてゐた。近頃殊に彼は妻が自分の妻だと思へなくなつて來てゐた。
妻は小さな金盥を持つて彼の傍へ來た。
「いらつしやらないの。」
「ああ。」
「私さきへ行つてくるわ。」
妻は室を出て行かうとしたとき、また彼の方を振り返つた。
「三島さんはまだお歸りにならないでせうね。」
「もう歸るだらう。何ぜだ?」
「大久保の方を廻るつて仰言つたわね。遲くなるわよ、きつと。」
が、妻は室を出てゆくと下駄を履くらしい音をさせながら、
「ちよつと、ちよつと、七輪を見て頂戴な。御飯がしかけてあるのよ。忘れちやいやよ。」とまた云つた。
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