蛾はどこにでもゐる
本文約6,300字 ・ 読了時間 約13分
あらすじ(AIが作成しました)
妻を亡くしたYは、深い喪失感を抱えながら旅に出る。しかし、行く先々で必ず一匹の白い蛾に遭遇し、その存在を亡き妻の化身ではないかと疑うようになる。ある夜、恩師の姪に紹介された見知らぬ女性と面会するが、突如現れた蛾に驚いた彼女が部屋を飛び出したことで、Yは自身の抱く執着と現実の境界に揺らぐ。日常の風景の中に亡妻の気配を重ね、逃れられない記憶と葛藤しながら、彼は当てもない孤独な放浪を続ける。
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一
たうとう彼の妻は死んだ。彼は全くぼんやりとして、妻の顏にかかつてゐる白い布を眺めてゐた。昨夜妻の血を吸つた蚊がまだ生きて壁にとまつてゐた。
彼は部屋に鍵をかけたまま長らくそこから出なかつた。彼は蚊が腹に妻の血を蓄へて飛んでゐるのを見ると、妻の死骸よりも、蚊の腹の中で、まだ生きてゐる妻の血に胸がときめくのを感じた。
二
彼は家をたたむと一時妻の家へ行つてゐた。彼はそこから日日金のある間、氣力を引き立てるために自動車を乘り廻して出歩いてゐた。しかし、彼は妻の葬に示してくれた多くの知己の好意を思ひ出すと、それにまだ一本の禮状さへ出してない自分のだらしなさが、突然ぼんやりした心の上へ重々しくのしかかつて來た。
「とにかく今は赦して貰ひたい。俺は、今は何も出來ないんだ。赦してくれ、赦してくれ。」
彼はさう呟きながら、またふらふら自動車に乘り歩き、夜遲く妻の家へ疲れた身體で歸つて來た。しかし、さて寢ようとすると、いつも義妹の身體がひとり蚊帳の中で青白くぐつたりと眠つてゐた。
三
彼はだんだん義妹の身體が恐くなつた。或る日、彼は默つて妻の家から逃げ出した。全く彼の行爲は、彼女の家人にとつて疑はしいことに相違なかつた。しかし、彼としてみればその場合それ以外の方法を考へ出すことは出來なかつた。
彼は新らしい生活の荷物として、先づ輕い齒ブラシとタオルとを買つて恩師の家へよつた。そこで彼は好意ある恩師の言葉のままに暫くそこに落ちつくことにした。
その夜彼は寢ようとして寢卷を着替へにかかると、不意に一疋の白い蛾が粉を飛ばせて彼の頬へ突きあたつた。彼は、はツしと掌で蛾を打つた。蛾は彼に打ち落とされたまま、暫く苦しさうにばたばた重厚な羽根で疊の上を叩いてゐた。と、どこに力があつたのか、突如として蛾はまた彼を目がけて奇怪な速さで突きかかつて來た。彼はひらりと身を低くめた。蛾は障子の棧にあたると再びそこから彼の腰を睨つて飛びかかつた。
「此奴、何者だツ。」と彼は思つた。彼は直ぐまた蛾を掌で打ち降ろすと、部屋の隅に突き立つたまま暫く蛾の姿を眺めてゐた。
四