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TORENDIA

山岳美觀

本文約59,900字 ・ 読了時間 約120分

あらすじ(AIが作成しました)

山岳画家・武井眞澄の芸術と、著者自身の山岳体験を綴る。武井の描く日本アルプスの山々は、その情緒と呼吸を融合させた唯一無二の表現であり、日本人が古来より抱く天然への憧れを体現する。本作は、著者と武井らが共にした木曾御岳への登山旅行の回想を交え、自然の崇高さと峻厳な美学を論じる。山頂で味わう必然の力と威厳は、乱れた心を統一し、高次の芸術が与えるのと同等の感銘を観る者の心に刻み込む。

吉江喬松

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岩膚

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雷鳥

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序

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序

今度協和書院から吉江、武井兩氏の山岳美觀が出る事になつたと云ふ。吉江氏とはまだ不幸辱知の榮を得ないが武井眞澂畫伯は年來尊敬する高士であるから院主の需に應じて、潛越を顧みず敢て一言を序する次第である。

自分は畫の事は判らない、又美術と云ふものにも誠に昏いのであるから、繪とか鑄金とか云ふ方面から武井氏を知つて居るのではない。只知つて居るのは其精神であり其人格である。飽くまでも脱俗である中に常に進歩を求めて止まない。名利に對しては恬淡其物であるのにかゝはらず、情誼に厚く、約を守つて果さゞるはない。年耳順を過ぎて山河を跋渉するに壯者に讓らない。即骨髓共に仙なるものである。自分は山に生れ山に育ち、今は職として雲を眺めて朝夕を過して居る。而して殆んど多くの他の畫家の山や雲に對して常にひそかに異議をもつにかゝわらず、眞澂畫く所に對して未だ嘗て些の矛眉をも[#「矛眉をも」はママ]不調和をも感じない。却つて未知の現象を示され或は又名にのみ聞く外國の現象をまざ/\其の畫中に發見して我國にも亦斯れありしかと感ぜしめられる。のみならず、眞澂の畫に對する時、自分が幼時山に對して持つた畏敬を感ぜしめられる。誠に山は崇高である。山靈は常には微笑するが時には萬雷となつて吾人を叱する。故に山に對して畏怖を感ぜざるものは眞に山を知るものではない。而して眞澂の山は本來此愴さをも畫くものであつた。山靈も眞澂も共に默して語らないが、其眼は共に炬の如く、常に眞理の幽玄を啓示する。山靈を畫きて神を得るもの古往今來蓋し眞澂を措きて他に有りとも覺へない。本書に收むる所實は未だ其如何なるかを知らないが、恐らく其眞骨頭を示すものであらう。本書が一日も早く完成して、早く其神韻に觸れたいと思ふ。

昭和十年六月六日 中央氣象臺に於て 藤原咲平 [#改ページ]

序

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