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TORENDIA

女子霧ヶ峰登山記

本文約5,100字 ・ 読了時間 約11分

あらすじ(AIが作成しました)

八ヶ岳火山彙北端に位置する霧ヶ峰への登山を綴る。著者はかねてより女子への登山熱鼓吹を試みており、長雨の八月、上諏訪の女学生ら十五人と共に山頂を目指す。立石山を経て角間川の谷を通り、鎌ヶ池や八島湿原といった名所へ至る道中で、多種多様な高山植物を採集する。悪天候による雨に打たれながらも全員で行程を完遂し、夕刻に下山するまでの一日を描く。本書は山案内的側面も持ち合わせ、登山を通じた女子の活動を記録し、旅行服の改良を提言する。

島木赤彦

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🎧 女子霧ヶ峰登山記 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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余は熱心なる女子登山希望者である。曩に三河国の某女が、下駄がけを以て富士登山の先駆をなし、野中千代子が雪中一万二千尺の山巓に悲壮なる籠居を敢てせし以来、奈良朝の昔、金峰山の女尼が、六尺男児を後へに瞠若たらしめた底の女子が追々増加して、三十五六年頃からは、各地女学校の団隊が追々富士登山を試みる様になったのは、寔に喜ばしい現象である。余の記憶に存して居る者のみにても、此の二三年に、富士登山を試みたのは余程ある。即ち三十六年には女子美術学校の生徒が登り、三十七年には山梨県師範学校女子部、女子体操音楽学校(二十余人中二人疲労)、神奈川県高等女学校等が登って居る。此の外嘉納氏夫人は三十六年に単独登山を行い、板垣伯、原敬二氏夫人はその翌年に登山を企てられたそうである。特に今年は樺山伯の孫女が、垂髫のろうろうしさを以て、繊小な足跡を山上の火山灰に印したと聞いては、眉を描き、眼尻を塗り、蘇芳に頬を染める女学生すらある今日に、吾党のため実に大なる援助を得たものと思われてうれしい。尤も右に述べたのは、皆新聞紙上に表れた者のみであるから、勿論吾人の視聴に触れない、幾多の巾幗登山者があったに相違ない。此の種のものは今の内によく調べて置いて、他日明治女子登山史を編纂する材料とし度く思う。余は三十六年に女子二十余人を率いて、八ヶ岳登山をした事がある。二泊三日の登山中一人の疲労者をも出さず。採集物も随分豊富、先ず成績佳良の方であった。今年八月又々十五人の女子を引連れて霧ヶ峰に登った。以下記する所はその紀行で、それにまま山案内的のものを交えて、諸君子の登山に便せんと思うのである。

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