仮寐の夢
本文約6,400字 ・ 読了時間 約13分
あらすじ(AIが作成しました)
戦後の日本で貸間に住む著者が、不便な日本家屋の様式や戦災後の東京の変容を綴る随筆である。雨戸の開閉や障子の美しさに触れつつ、間借りの身の上と国家社会の行く末を重ねる。また、過去の震災時や明治の風景を回顧し、西洋人の視点を交えながら、都市の再建や今後の社会情勢について考察する。
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○家が焼けてから諸処方々人の家の空間をさがして仮寐の夢を結ぶようになって、ここに再び日本在来の家の不便を知るようになった。襖障子を境にしている日本の家の居室には鍵のかかる処がないので、外出した後の用心をすることができない。空巣ねらいの事はさて置き、俄雨の用心には外出のたびごとに縁側と窓の雨戸をしめて帰るとまたそれをあけなくてはならない。むかしから雨戸と女房に具合の好いものはないという諺がある。日本の家に住むにはまず雨戸の繰出し方から演習して行かねばならない。雨戸も二三枚ならばよほど楽であるが、五枚六枚とつづく長い縁側の雨戸と来たら、指先を傷めぬように手袋でもしてかからねばなるまい。ピエールロチのたしか日光紀行に旅館の女中が夕まぐれに何枚と知れぬ雨戸を巧みに繰出す技芸を見て嘆賞するくだりがあった。日本人が家居の様式は江戸時代から明治を経て昭和の今日に至るも、大体において変るところがない。政治は変っても日本人の生活は一二世紀前のむかしと一向変っていないのだ。戦いに負けて政体を云々する人の声も聞かれるようだが、それらの人の住む家と雨戸の不便とはこの後も長くむかしのままにつづくのであろう。紙がないと言いながら襖や障子の代りになるものは誰も考案しないようである。政治は口と筆とさえあればこれを論ずるに難くはないが、戸障子の如何は実際の問題で空論ではないからであろう。