冬の夜がたり
本文約6,000字 ・ 読了時間 約12分
あらすじ(AIが作成しました)
小石川の自宅に現れた二頭立の馬車と、そこに乗り合わせた見知らぬ西洋婦人との遭遇を軸に、幼少期の記憶を回想する。漢学の稽古帰りに自宅で目にした異形の来訪者に困惑し、逃げ出した際の緊張感や、その後の成長過程で触れた宣教師や寄寓学生との交わりを描く。半世紀以上の時を経て、かつての日常の風景が変化しゆく東京の街並みと、自身の記憶に刻まれた人々の面影を辿る随筆である。
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何歳ごろの事であつたか、はつきりとは思返すことができないのであるが、然し其時の記憶は半世紀あまりを過ぎた今日に至るまで、かすかながら心の奥に残されてゐる。
それは夏でもなければ冬でもなかつたらしい。とすれば、春も暮行くころか、さらずば秋も酣のころ。いづれにしても暑くも寒くもない時分であつたらう。わたくしは小石川金剛寺の坂上に住んでゐた、漢学者某先生の家で、いつものやうに、正午過るころ論語であつたか、大学であつたか、何やら素読の稽古をすまし、一町とは隔つてゐない吾家の門前まで走つてきた時であつた。繁つた枳殻の生垣に沿ひ、二頭立の立派な箱馬車が一台駐つてゐるのを見て、わたくしは目をまろくした。その時分辺鄙な山の手の、このあたりに馬車を見るのは絶えて無かつたことである。殊にわたくしを驚かしたのは御者台の上に二人並んで腰を掛けてゐた御者と、下におりてゐた馬丁、これも二人、いづれも大名行列の奴に似たやうな揃ひの服装をして、何やら金ぴかの大きな紋章をつけた真黒な円い笠をかぶつてゐた其の姿であつた。
わたくしは此の立派な箱馬車に乗つて来た人が、わたくしの家の訪問者であることを確めるまでには、少くとも二三分の時間を必要としたにちがひない。門前の道路はこの箱馬車一台だけでも、その方向をかへるには容易でないと思はれるほど狭いのである。この道は六十年を過ぎた今日に至つても、そのむかしと変りのないことは、折々試る散歩によつて、わたくしは能く知つてゐる。
むかし井ノ頭上水の流れてゐた小日向水道町の道端から、金剛寺坂を登りきらずに其中程から左へ曲り、両側とも小屋敷のつゞいてゐた垣根道を行くと、道はすこし迂曲つた後、現在電車の通つてゐる安藤坂のいたゞきに出る。安藤坂も金剛寺坂もその傾斜は勿論現在よりも急激であつたので、この坂と坂とのあひだに通ずる湫路には馬車はおろか、人力車を見ることさへ稀であつた。たま/\人力車の行くのを見る時、この近所の人達は車背に輝く金蒔絵の定紋に依つて、車の上の人のみならず車夫の名までを知つてゐたくらゐであつた。その頃屋敷の抱車夫の中には髷を切らずにゐたものも少くはなかつた。