続文芸的な、余りに文芸的な
本文約3,400字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
正宗白鳥の「死者生者」への回顧を皮切りに、芥川龍之介が自らの創作観や文学論を綴る。時代に左右される作品の価値、日本の文芸の特性、アナトオル・フランスや自然主義、ハムズンの文学的意義などを論じる。また、語彙の混乱、コクトオの芸術論、映画や絵画を通じて考察を深め、自身の文芸に対する真摯かつ懐疑的な眼差しを投影する。各項で文学、歴史、思想について独自の批評を展開し、現代を生きる芸術家のあり方を問い直す構成をとる。
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一 「死者生者」
「文章倶楽部」が大正時代の作品中、諸家の記憶に残つたものを尋ねた時、僕も返事をしようと思つてゐるうちについその機会を失つてしまつた。僕の記憶に残つてゐるものはまづ正宗白鳥氏の「死者生者」である。これは僕の「芋粥」と同じ月に発表された為、特に深い印象を残した。「芋粥」は「死者生者」ほど完成してゐない。唯幾分か新しかつただけである。が、「死者生者」は不評判だつた。「芋粥」は――「芋粥」の不評判だつたのは吹聴せずとも善い。「読後感とでも云ふのかな。さう云ふものの深い短篇だね。」――僕は当時久米正雄君の「死者生者」を読んだ後、かう言つたことを覚えてゐる。が、「文章倶楽部」の問に応じた諸家は誰も「死者生者」を挙げてゐなかつたらしい。しかも「芋粥」は幸か不幸か諸家の答への中にはいつてゐる。
この事実の証明する通り、世人は新らしいものに注目し易い。従つて新らしいものに手をつけさへすれば、兎に角作家にはなれるのである。しかしそれは必ずしも一爪痕を残すことではない、僕は未だに「死者生者」は「芋粥」などの比ではないと思つてゐる、のみならず又正宗氏自身も短篇作家としては、「死者生者」を書いた前後に最も芸術的ではなかつたかと思つてゐる。が、当時の正宗氏は必ずしも人気はなかつたらしい。
二 時代
僕は時々かう考へてゐる。――僕の書いた文章はたとひ僕が生まれなかつたにしても、誰かきつと書いたに違ひない。従つて僕自身の作品よりも寧ろ一時代の土の上に生えた何本かの艸の一本である。すると僕自身の自慢にはならない。(現に彼等は彼等を待たなければ、書かれなかつた作品を書いてゐる。勿論そこに一時代は影を落してゐるにしても。)僕はかう考へる度に必ず妙にがつかりしてしまふ。
三 日本の文芸の特色
日本の文芸の特色、――何よりも読者に親密(intime)であること。この特色の善悪は特に今は問題にしない。
四 アナトオル・フランス