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TORENDIA

二人の友

本文約1,100字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

一高でドイツ語を教えた福間先生との思い出を綴る。金縁の眼鏡をかけ、ユーモアを好んだ先生は学生たちに親しまれた。著者は授業中の久米正雄や井川恭との諧謔に満ちたやり取りや、難解な警句集に悩まされた日々を回想する。やがて病床の先生を見舞った記憶や、冬の日に執り行われた葬儀の情景を描写し、恩師の人柄と過ぎ去った学生時代を慈しむ心情を記す。本書は森鴎外の作品名に因み、当時の友人たちの名をも刻んだ一編である。

芥川龍之介

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🎧 二人の友 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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僕は一高へはひつた時、福間先生に独逸語を学んだ。福間先生は鴎外先生の「二人の友」の中のF君である。「二人の友」は当時はまだ活字になつてはいなかつたであらう。少くとも僕などのそんなことを全然知らなかつたのは確かである。

福間先生は常人よりも寧ろ背は低かつたであらう。何でも金縁の近眼鏡をかけ、可成長い口髭を蓄へてゐられたやうに覚えてゐる。

僕等は皆福間先生に或親しみを抱いてゐた。それは先生も青年のやうに諧謔を好んでゐられたからである。先生は一学期の或時間に久米正雄にかう言はれた。

「君にはこの言葉の意味がクメとれないんですか?」

久米も亦忽ち洒落を以て酬いた。

「ええ、ちよつとわかりません。どう言ふ意味がフクマつてゐるか」

福間先生は二学期からいきなり僕等にゲラアデ・アウスと云ふギズキイの警句集を教へられた。僕等の新単語に悩まされたことは言ふを待たないのに違ひない。僕は未だにその本にあつた、シユタアツ・ヘモロイダリウスと云ふ、不可思議な言葉を記憶してゐる。この言葉は恐らくは一生の間、薄暗い僕の脳味噌のどこかに木の子のやうに生えてゐるであらう。僕はそんなことを考へると、いつも何か可笑しい中に儚い心もちも感じるのである。

福間先生の死なれたのは僕等の二年生になつた時か、それとも三年生になつた時か、生憎はつきりと覚えてゐない。が、その一週間か二週間か前に今の恒藤恭――当時の井川恭と一しよにお見舞に行つたことは覚えてゐる。先生はベツドに仰臥されたまま、たつた一言「大分好い」と言はれた。しかし実際は「大分好い」よりも寧ろ大分悪かつたのであらう。現に先生の奥さんなどは愁はしい顔をしてゐられたものである。

或曇つた冬の日の午後、僕等は皆福間先生の柩を今戸のお寺へ送つて行つた、お葬式の導師になつたのはやはり鴎外先生の「二人の友」の中の「安国寺さん」である。「安国寺さん」は式をすませた後、本堂の前に並んだ僕等に寂滅為楽の法を説かれた。「北山頭一片の煙となり、」――僕は度たび「安国寺さん」のそんなことを言はれたのを覚えてゐる。同時に又丁度その最中に糠雨の降り出したのも覚えてゐる。

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