私は懐疑派だ
本文約4,600字 ・ 読了時間 約10分
あらすじ(AIが作成しました)
自身が創作する小説において、真実を語ることの不可能さを説き、文学者が抱く人生観や文学そのものの価値を懐疑的に論じる随筆。創作上の制約や文学に対する世間の態度を振り返りつつ、思想を絶対視せず人生の便宜として扱うべきとする独自の立場を表明する。文学を一度根底から否定し再考することで、新たな人生観を見出そうとする著者の思想的遍歴と、その懐疑的な精神態度を綴る。
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私は筆を執っても一向気乗りが為ぬ。どうもくだらなくて仕方がない。「平凡」なんて、あれは試験をやって見たのだね。ところが題材の取り方が不充分だったから、試験もとうとう達しなくって了った。充分に達しなかったというのは、サタイアになったからだ。その意ではなかったのが、どうしても諷刺になって了った。
「其面影」の時には生人形を拵えるというのが自分で付けた註文で、もともと人間を活かそうというのだから、自然、性格に重きを置いたんだが、今度の「平凡」と来ちゃ、人間そのものの性格なんざ眼中に無いんさ。丸ッきり無い訳ではないが、性格はまア第二義に落ちて、それ以外に睨んでいたものがある。一言すれば、それは色々の人が人生に対する態度だな……人間そのものではなくて、人間が人生に対する態度……というと何だか言葉を弄するような嫌いがあるが、つまり具体的の一箇の人じゃなくて、ある一種の人が人生に対する態度だ、而してその一種の人とは即ち文学者……必ずしも今の文学者ばかりじゃなく、凡そ人間在って以来の文学者という意味も幾らか含ませたつもりだ。だから今度の作では那様関係ばかりを眼に見ていて、人間を活躍させようなんぞという気もなけりゃ、従って活躍もしなかった。これが「其面影」と「平凡」とを創作した時の、私の態度の違いさ。
だが、要するに、書いていてまことにくだらない。子供が戦争ごッこをやッたり、飯事をやる、丁度そう云った心持だ。そりゃ私の技倆が不足な故もあろうが、併しどんなに技倆が優れていたからって、真実の事は書ける筈がないよ。よし自分の頭には解っていても、それを口にし文にする時にはどうしても間違って来る、真実の事はなかなか出ない、髣髴として解るのは、各自の一生涯を見たらばその上に幾らか現われて来るので、小説の上じゃ到底偽ッぱちより外書けん、と斯う頭から極めて掛っている所があるから、私にゃ弥々真劒にゃなれない。