半七捕物帳
本文約29,800字 ・ 読了時間 約60分
あらすじ(AIが作成しました)
明治初期の東京・神田の柳原堤にある清水山で、夜な夜な現れる女の怪異が噂される。武家屋敷が立ち並ぶ寂しい一帯は古くから魔所と恐れられていた。捕物師の半七は、この騒動の背後に潜む人間の営みと、その土地に棲息していた正体不明の獣の存在を突き止める。本作は、江戸の伝説や迷信が文明開化期の都市で交錯する様子を、名探偵が古老として語り聞かせる形式で描く捕物帳の短編である。
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一
なにかの話から、神田の柳原の噂が出たときに、老人はこう語った。
「やなぎ原の堤が切りくずされたのは明治七、八年の頃だと思います。今でも柳原河岸の名は残っていて、神田川の岸には型ばかりの柳が植えてあるようですが、江戸時代には筋違橋から浅草橋までおよそ十町のあいだに高い堤が続いていて、それには大きい柳が植え付けてありましたから、春さきの眺めはなかなかよかったものです。柳原の柳はなくなる、向島の桜はだんだん影がうすくなる、文明開化の東京はどうも殺風景になり過ぎたようですね。いや、むかし者の愚痴ばかりでなく、これはまったくのことですよ。今のお若い方はおそらく御承知ないでしょうが、あの堤に清水山という小さい岡のようなものがありました。場所は筋違橋と柳の森神社とのあいだで、神田川の方にむかった岡の裾に一つの洞穴があって、その穴から絶えず清水をふき出すので、清水山という名が出来たのだそうです。それだけのことならば別に仔細はないのですが、むかしからの云いならわしで、この清水山にはいろいろの怪異があって、迂濶にはいると禍いがあるということになっているので、長い堤のあいだでも、ここだけは誰も近寄るものがない。一体この堤の草は近所の大名屋敷や旗本屋敷で飼馬の料に刈り取ることになっていまして、筋違から和泉橋のあたりは市橋壱岐守と富田帯刀の屋敷の者が刈りに来ていたんですが、そのあいだには例の清水山があるので、どっちも恐れて鎌を入れない。つまり筋違橋と和泉橋と両方の端から刈り込んで来て、まん中の清水山だけを残しておくので、わずか三間か四間のところですけれども、それだけは上から下まで、いつも高い草が茫々と生いしげっていて、気のせいか何だか物すごいように見える。そこに一つの事件が出来したんです」