初めて見たる小樽
本文約3,600字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
函館や札幌を経て小樽に辿り着いた著者は、北海道という土地に真の自由と植民的精神を見出す。保守的な因襲に縛られた内地とは対照的に、小樽の人々が持つ荒々しい活動力や執着心のなさを称賛する。著者は一人の漂泊者として、この街に充満する強烈な活動の気配と自由な空気を肌で感じ、自らの感性に従って生きる喜びを綴る。本書は、自らの世界を力強く切り拓こうとする人間たちの姿と、その開拓地に宿る活気を描いた紀行文である。
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新らしき声のもはや響かずなった時、人はその中から法則なるものを択び出ず。されば階級といい習慣といういっさいの社会的法則の形成せられたる時は、すなわちその社会にもはや新らしき声の死んだ時、人がいたずらに過去と現在とに心を残して、新らしき未来を忘るるの時、保守と執着と老人とが夜の梟のごとく跋扈して、いっさいの生命がその新らしき希望と活動とを抑制せらるる時である。人性本然の向上的意力が、かくのごとき休止の状態に陥ることいよいよ深くいよいよ動かすべからずなった時、人はこの社会を称して文明の域に達したという。一史家が鉄のごとき断案を下して、「文明は保守的なり」といったのは、よく這般のいわゆる文明を冷評しつくして、ほとんど余地を残さぬ。
予は今ここに文明の意義と特質を論議せむとする者ではないが、もし叙上のごとき状態をもって真の文明と称するものとすれば、すべての人の誇りとするその「文明」なるものは、けっしてありがたいものではない。人は誰しも自由を欲するものである。服従と自己抑制とは時として人間の美徳であるけれども、人生を司配すること、この自由に対する慾望ばかり強くして大なるはない。歴史とは大人物の伝記のみとカーライルの喝破した言にいくぶんなりともその理を認むる者は、かの慾望の偉大なる権威とその壮厳なる勝利とを否定し去ることはとうていできぬであろう。自由に対する慾望とは、啻に政治上または経済上の束縛から個人の意志を解放せむとするばかりでなく、自己みずからの世界を自己みずからの力によって創造し、開拓し、司配せんとする慾望である。我みずから我が王たらんとし、我がいっさいの能力を我みずから使用せんとする慾望である。人によりて強弱あり、大小はあるが、この慾望の最も熾んな者はすなわち天才である。天才とは畢竟創造力の意にほかならぬ。世界の歴史はようするに、この自主創造の猛烈な個人的慾望の、変化極りなき消長を語るものであるのだ。嘘と思うなら、かりにいっさいの天才英雄を歴史の上から抹殺してみよ。残るところはただ醜き平凡なる、とても吾人の想像にすらたゆべからざる死骸のみではないか。