中村彝氏の追憶
本文約1,900字 ・ 読了時間 約4分
あらすじ(AIが作成しました)
谷中の仮寓に暮らす中村彝を一度だけ訪問した記憶と、田中舘愛橘の肖像画制作風景を通じた交流の記録を綴る。著者である寺田寅彦は、荒涼とした部屋に置かれたレンブラントの画集や、剣術の試合を思わせる真剣な制作態度、そして絵画に対して際どい細かさで向き合う画家の姿を鮮明に描写する。寡黙で穏やかな人柄や、制作に心身を削る画家の痛々しいまでの姿を回想しながら、対象を観察する眼差しとその生き様を静かに浮き彫りにする。
💰 この本を応援する(投げ銭)
自分が中村彝氏を訪問したのはあとにも先にもただ一度である。
田中舘先生の肖像を頼む事に関して何かの用向きで、中村清二先生の御伴をして、谷中の奥にその仮寓を尋ねて行った。それは多分初夏の頃であったかと思う。谷中の台地から田端の谷へ面した傾斜地の中腹に沿う彎曲した小路をはいって行って左側に、小さな荒物屋だか、駄菓子屋だかがあって、そこの二階が当時の氏の仮寓になっていた。
店の向かって右の狭苦しい入口からすぐに二階へ上がるのであったかと思う。こういう家に通有な、急勾配で踏めばギシギシ音のする階段であった。段を上がった処が六畳くらい(?)の部屋で表の窓は往来に面していた。その背後に三畳くらいの小さな部屋があってそこには蚊帳が吊るして寝床が敷いたままになっていた。裏窓からその蚊帳を通して来る萌黄色の光に包まれたこの小さな部屋の光景が、何故か今でも目について忘れられない。
どんな用向きでどんな話をしたか、それがどういう風に運んだのであったか、その方の記憶は完全に消えてしまっている。とにかく簡単な用事が即座に片附いたのであったろうと思われる。これに反して用事に関係のない事で当時の印象になって残っている事を少しばかり思い出して書いてみる。
部屋の一体の感じが極めて荒涼であったように記憶する。どうせこういう種類の下宿屋住居で、そうそう愉快な室もないはずであるが、しかし随分思い切って侘しげな住まいであった。具体的な事は覚えていないが、そんな気持のした事は確かである。
机と本箱はあった。その外には幾枚かのカンヴァスの枠に張ったのが壁にたてかけてあったのと、それから、何かしら食器類の、それも汚れたのが、そこらにころがっていたかと思うが、それもたしかではない。
一つ確かに覚えているのは、レンブラント画集の立派なのが他の二、三の画集と並んで本箱に立ててあった事で、これだけが荒涼な室の中に著しい異彩を放っていた。それからもう一つ、描きかけの自画像で八号か十号くらいだったかと思う。一体に青味の勝った暗い絵で、顔が画面一杯に大きくかいてあった。同行の中村先生があとでレンブラント張りだと評された事も覚えている。