半七捕物帳
本文約21,000字 ・ 読了時間 約42分
あらすじ(AIが作成しました)
深川八幡の市を訪れた半七老人は、往来でかつての馴染みの髪結床の主人に再会する。江戸の思い出話に興じる中で、老人は幕末の神田小川町で起きた歩兵隊の髪切り騒動について語り出す。二千人の兵が屯する長屋で多発した怪奇な事件の背後には、金銭を目的とした隊員たちの脱走計画や強盗事件が隠されていた。半七は、この騒動が幕末の混迷を背景に、うやむやのまま終わった不思議な事件の一つであることを回想する。
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一
前回には極月十三日の訪問記をかいたが、十二月十四日についても、一つの思い出がある。江戸以来、歳の市の始まりは深川八幡で、それが十四、十五の両日であることは、わたしも子どもの時から知っていたが、一度もその実況を観たことが無いので、天気のいいのを幸いに、俄かに思い立って深川へ足を向けた。
今と違って、明治時代の富岡門前町の往来はあまり広くない。その両側に露店が列んでいるので、車止めになりそうな混雑である。市商人は大かた境内に店を出しているのであるが、それでも往来にまでこぼれ出して、そこにも此処にも縁起物を売っている。それをうかうか眺めながら行きかかると、路ばたの理髪店から老人が出て来た。
「やあ」
それは半七老人であった。赤坂に住んでいる老人が深川まで髪を刈りに来るのかと、わたしも少し驚いていると、それを察したように、彼は笑った。
「山の手の者が川向うまで頭を刈りに来る。わたくしのように閑人でなければ出来ない芸ですね。いや、わたくしだって始終ここらまで来る訳じゃあありません。ついでがある時に寄るんですよ」
ここの理髪店の主人は、そのむかし神田に床を持っていて、半七老人とは江戸以来の馴染であるので、ここらへ来たときには立ち寄って、鋏の音を聴きながら昔話をする。それも一つの楽しみであると、老人は説明した。
「きょうも八幡様の市へ来たので、その足ついでに寄ったのですが……。あなたは何処へ……」
「わたしも市を観に来たんですが……」
「はは、今の若い方にしちゃあお珍らしい。帰りは洲崎へでもお廻りですか」と、老人は笑いながら云った。
「いや、そんな元気はありません」と、わたしも笑った。
二人は話しながら連れ立って境内にはいった。老人は八幡の神前でうやうやしく礼拝していた。そこらを一巡して再び往来へ出ると、老人はどこかで午飯を食おうと云い出した。宮川の鰻もきょうは混雑しているであろうから、冬木の蕎麦にしようと、誘われるままにゆくと、わたしは冬木弁天の境内に連れ込まれた。
名月や池をめぐりて夜もすがら