TRENDIA CLASSIC

半七捕物帳

岡本綺堂

1 / 23

「幽霊の観世物」の話が終ると、半七老人は更にこんな話を始めた。

「観世物ではまだこんなお話があります。こんにちでも繁昌している団子坂の菊人形、あれは江戸でも旧いものじゃあありません。いったい江戸の菊細工は――などと、あなた方の前で物識りぶるわけではありませんが、文化九年の秋、巣鴨の染井の植木屋で菊人形を作り出したのが始まりで、それが大当りを取ったので、それを真似て方々で菊細工が出来ました。明治以後は殆ど団子坂の一手専売のようになって、菊細工といえば団子坂に決められてしまいましたが、団子坂の植木屋で菊細工を始めたのは、染井よりも四十余年後の安政三年だと覚えています。あの坂の名は汐見坂というのだそうですが、坂の中途に団子屋があるので、いつか団子坂と云い慣わして、江戸末期の絵図にもダンゴ坂と書いてあります。

そこで、このお話は文久元年の九月、ことしの団子坂は忠臣蔵の菊人形が大評判で繁昌しました。その人形をこしらえたのは、たしか植梅という植木屋であったと思います。ほかの植木屋でも思い思いの人形をこしらえました。その頃の団子坂付近は、坂の両側にこそ町屋がならんでいましたが、裏通りは武家屋敷や寺や畑ばかりで、ふだんは田舎のように寂しい所でしたが、菊人形の繁昌する時節だけは江戸じゅうの人が押し掛けて来るので、たいへんな混雑でした。それを当て込みに、臨時の休み茶屋や食い物店なども出来る。柿や栗や芒の木兎などの土産物を売る店も出る。まったく平日と大違いの繁昌でした。

岡本綺堂の他の作品