半七捕物帳
本文約33,300字 ・ 読了時間 約67分
あらすじ(AIが作成しました)
赤坂の酒屋津の国屋の秘蔵娘お雪の周囲で、謎の娘の出現や仏壇の出火といった不穏な出来事が続く。長年江戸の捕物に関わってきた半七老人が、かつて赤坂を舞台に巻き起こった事件の回想を語る。一見すると怪談の様相を呈しながらも、実際には金品を狙う悪党たちの手の込んだ計略によって引き起こされた、複雑な人間模様が絡み合う実録の顛末を描く。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
一
秋の宵であった。どこかで題目太鼓の音がきこえる。この場合、月並の鳴物だとは思いながらも、じっと耳をすまして聴いていると、やはり一種のさびしさを誘い出された。
「七偏人が百物語をしたのは、こんな晩でしょうね」と、わたしは云い出した。
「そうでしょうよ」と、半七老人は笑っていた。「あれは勿論つくり話ですけれど、百物語なんていうものは、昔はほんとうにやったもんですよ。なにしろ江戸時代には馬鹿に怪談が流行りましたからね。芝居にでも草双紙にでも無暗にお化けが出たもんです」
「あなたの御商売の畑にもずいぶん怪談がありましょうね」
「随分ありますが、わたくし共の方の怪談にはどうもほんとうの怪談が少なくって、しまいへ行くとだんだんに種の割れるのが多くって困りますよ。あなたにはまだ津の国屋のお話はしませんでしたっけね」
「いいえ、伺いません。怪談ですか」
「怪談です」と、老人はまじめにうなずいた。「しかもこの赤坂にあったことなんです。これはわたくしが正面から掛り合った事件じゃありません。桐畑の常吉という若い奴が働いた仕事で、わたくしはその親父の幸右衛門という男の世話になったことがあった関係上、蔭へまわって若い者の片棒をかついでやったわけですから、いくらか聞き落しもあるかも知れません。なにしろ随分入り組んでいる話で、ちょいと聴くと何だか嘘らしいようですが、まがいなしの実録、そのつもりで聴いて下さい。昔と云っても、たった三四十年前ですけれども、それでも世界がまるで違っていて、今の人には思いも付かないようなことが時々ありました」
赤坂裏伝馬町の常磐津の女師匠文字春が堀の内の御祖師様へ参詣に行って、くたびれ足を引き摺って四谷の大木戸まで帰りついたのは、弘化四年六月なかばの夕方であった。赤坂から堀の内へ通うには別に近道がないでもなかったが、女一人であるからなるべく繁華な本街道を選んだのと、真夏の暑い日ざかりを信楽の店で少し休んでいたのとで、女の足でようよう江戸へはいったのは、もう夕六ツ半(七時)をすぎた頃で、さすがに長いこの頃の日もすっかり暮れ切ってしまった。