半七捕物帳
本文約15,100字 ・ 読了時間 約31分
あらすじ(AIが作成しました)
江戸の捕物名手・半七老人が、本所での奇妙な蝶の群舞騒ぎと、尼僧・善昌が祀る弁天像にまつわる過去の事件を語る。かつて尼僧のもとで盗人が供物を食べて急死する不可解な出来事があり、半七はその裏にある人間模様を追う。蝶が雪のように乱れ飛ぶ不吉な噂が広まる中、尼僧と髪結いの女、そして住職が絡み合う執念と秘密を、老人が冷静な観察眼で紐解いていく。怪奇な現象の背後に潜む、強欲な人間たちの暗い対立を描く物語である。
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一
江戸っ子は他国の土を踏まないのを一種の誇りとしているので、大体に旅嫌いであるが、半七老人もやはりその一人で、若い時からよんどころない場合のほかには、めったに旅をしたことが無いそうである。それがめずらしく旅行したということで、わたしが訪ねたときは留守であった。老婢の話によると、宇都宮の在にいる老人の甥の娘とかが今度むこを取るについて、わざわざ呼ばれて行ったということであった。それから十日ほど経つと、老人から老婢を使によこして、先日は留守で失礼をしたが、きのう帰宅しました、これはめずらしくもない物だが御土産のおしるしでございますと云って、日光羊羹と乾瓢とを届けてくれた。
その挨拶ながら私が赤坂の家をたずねたのは、あくる日のゆう方で、六月なかばの梅雨らしい細雨がしとしとと降っていた。襟に落ちる雨だれに首をすくめながら、入口の格子をあけると、老人がすぐに顔を出した。
「はは、ばあやにしてはちっと早い。きっとあなただろうと思いました」
いつもの笑顔に迎えられて、わたしは奥の横六畳の座敷へ通った。ばあやは近所へ買物に行ったということで、老人は自身に茶を淹れたり、菓子を出したりした。ひと通りの挨拶が済んで、老人は機嫌よく話し出した。
「あなたは義理が堅い。この降るのによくお出かけでしたね。あっちにいるあいだも、とかく降られ勝ちで困りましたよ」
「なにか面白いことはありませんでしたか」と、わたしは茶を飲みながら訊いた。
「いや、もう」と、老人は顔をしかめながら頭をふってみせた。「なにしろ、宇都宮から三里あまりも引っ込んでいる田舎ですからね。いや、それでもわたしの行っている間に、雀合戦があるというのが大評判で、わたくしも一度見物に出かけましたよ。何万羽とかいう評判ほどではありませんでしたが、それでも五六百羽ぐらいは入りみだれて合戦をする。あれはどういう訳でしょうかね」
「東京でも曾てそんな噂を聴いたことがありましたね」