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TORENDIA

思い出の記

本文約30,900字 ・ 読了時間 約62分

あらすじ(AIが作成しました)

明治二十三年に来日したヘルンは、出雲の松江を訪れ、その古い街並みや美しい景色に深い愛着を抱く。英語教師として中学や師範学校で教鞭をとる傍ら、日本文化や風習を一つひとつ書き留め、日本的な暮らしを好んで実践する。本書は、妻である小泉節子が、松江での生活や家族との団欒、ヘルンの繊細で情愛豊かな人柄、そして晩年の様子や亡くなるまでの日々を、自身の視点から細やかに回想し、綴る随筆である。

小泉節子

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ヘルンが日本に参りましたのは、明治二十三年の春でございました。ついて間もなく会社との関係を絶ったのですから、遠い外国で便り少い独りぽっちとなって一時は随分困ったろうと思われます。出雲の学校へ赴任する事になりましたのは、出雲が日本で極古い国で、色々神代の面影が残って居るだろうと考えて、辺鄙で不便なのをも心にかけず、俸給も独り身の事であるから沢山は要らないから、赴任したようでした。

伯耆の下市に泊って、その夜盆踊を見て大層面白かったと云いますから、米子から船で中海を通り松江の大橋の河岸につきましたのは八月の下旬でございます。その頃東京から岡山辺までは汽車がありましたが、それからさきは米子まで山また山で、泊る宿屋も実にあわれなものです。村から村で、松江に参りますと、いきなり綺麗な市街となりますので、旅人には皆眼のさめるように驚かれるのです。大橋の上に上ると東には土地の人の出雲冨士と申します伯耆の大山が、遥かに冨士山のような姿をして聳えて居ります。大橋川がゆるゆるその方向へ流れて参ります。西の方は湖水と天とぴったり溶けあって、静かな波の上に白帆が往来しています。小さい島があってそこには弁天様の祠があって松が五六本はえています。ヘルンには先ずこの景色が気に入ったろうと思われます。

松江の人口は四万程ございました。家康公の血を引いた直政という方が参られまして、その何代か後に不昧公と申す殿様がありましたが、そのために家中の好みが辺鄙に似合わず、風流になったと申します。

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