聖書の読方
本文約8,100字 ・ 読了時間 約17分
あらすじ(AIが作成しました)
栃木県氏家での講演録である本書は、聖書を読み解くための根本的な指針を論じる。聖書は来世の希望と恐怖を背景とした神の約束の書であり、単なる道徳教本ではないと説く。著者は、イエスの山上の垂訓を永遠の来世を前提とした預言であると位置づけ、現代の聖書研究が来世の審判を軽視している現状を批判する。信者にとってイエスは来世の救出者であり、その教えを信じるか否かは永遠の運命を分かつ重大な決断であると警告する。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
十一月十五日栃木県氏家在狭間田に開かれたる聖書研究会に於て述べし講演の草稿。
聖書は来世の希望と恐怖とを背景として読まなければ了解らない、聖書を単に道徳の書と見て其言辞は意味を為さない、聖書は旧約と新約とに分れて神の約束の書である、而して神の約束は主として来世に係わる約束である、聖書は約束附きの奨励である、慰藉である、警告である、人はイエスの山上の垂訓を称して「人類の有する最高道徳」と云うも、然し是れとても亦来世の約束を離れたる道徳ではない、永遠の来世を背景として見るにあらざれば垂訓の高さと深さとを明確に看取することは出来ない。
「心の貧しき者は福なり」、是れ奨励である又教訓である、「天国は即ち其人の有なれば也」、是れ約束である、現世に於ける貧は来世に於ける富を以て報いらるべしとのことである。
哀む者は福なり、其故如何? 将さに現われんとする天国に於て其人は安慰を得べければ也とのことである。
柔和なる者は福なり、其人はキリストが再び世に臨り給う時に彼と共に地を嗣ぐことを得べければ也とのことである、地も亦神の有である、是れ今日の如くに永久に神の敵に委ねらるべき者ではない、神は其子を以て人類を審判き給う時に地を不信者の手より奪還して之を己を愛する者に与え給うとの事である、絶大の慰安を伝うる言辞である。
饑渇く如く義を慕う者は福なり、其故如何? 其人の饑渇は充分に癒さるべければ也とのことである、而して是れ現世に於て在るべきことでない事は明である、義を慕う者は単に自己にのみ之を獲んとするのではない、万人の斉く之に与からんことを欲するのである、義を慕う者は義の国を望むのである、而して斯かる国の斯世に於て無きことは言わずして明かである、義の国は義の君が再び世に臨り給う時に現わる、「我等は其の約束に因りて新しき天と新しき地を望み待り義その中に在り」とある(彼得後書三章十三節)、而して斯かる新天地の現わるる時に、義を慕う者の饑渇は充分に癒さるべしとのことである。