影を踏まれた女
本文約11,400字 ・ 読了時間 約23分
あらすじ(AIが作成しました)
嘉永元年の十三夜、糸屋の娘おせきは遊ぶ子供たちに影を踏まれて以来、自分の影を極度に恐れるようになる。日光や灯火さえも避けて陰鬱な日々を過ごすおせきを見かね、婚約者の要次郎は夜の外出を促す。月明かりの下、二人が歩く先で、要次郎は自身の影が骸骨であることに気づき、恐怖のあまりおせきの手を放して逃げ出してしまう。直後、その場に通りかかった侍によっておせきは斬られるという奇怪な事件が起きる。
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一
Y君は語る。
先刻も十三夜のお話が出たが、わたしも十三夜に縁のある不思議な話を知つてゐる。それは影を踏まれたといふことである。
影を踏むといふ子供遊びは今は流行らない。今どきの子供はそんな詰らない遊びをしないのである。月のよい夜ならばいつでも好さゝうなものであるが、これは秋の夜にかぎられてゐるやうであつた。秋の月があざやかに冴え渡つて、地に敷く夜露が白く光つてゐる宵々に、町の子供たちは往来に出て、こんな唄を歌ひはやしながら、地にうつる彼等の影を踏むのである。
――影や道陸神、十三夜のぼた餅――
ある者は自分の影を踏まうとして駈けまはるが、大抵は他人の影を踏まうとして追ひまはすのである。相手は踏まれまいとして逃げまはりながら、隙をみて巧みに敵の影を踏まうとする。また横合から飛び出して行つて、どちらかの影を踏まうとするのもある。かうして三人五人、多いときには十人以上も入りみだれて、地に落つる各自の影を追ふのである。勿論、すべつて転ぶのもある。下駄や草履の鼻緒を踏み切るのもある。この遊びはいつの頃から始まつたのか知らないが、兎にかくに江戸時代を経て、明治の初年、わたし達の子どもの頃まで行はれて、日清戦争の頃にはもう廃つてしまつたらしい。
子ども同士がたがひに影を踏み合つてゐるのは別に仔細もないが、それだけでは面白くないとみえて、往々にして通行人の影をふんで逃げることがある。迂闊に大人の影を踏むと叱られる虞れがあるので、大抵は通りがかりの娘や子供の影を踏んでわつと囃し立てゝ逃げる。まことに他愛のない悪戯ではあるが、たとひ影にしても、自分の姿の映つてゐるものを土足で踏みにじられると云ふのは余り愉快なものではない。それに就てこんな話が伝へられてゐる。