すかんぽ
本文約5,500字 ・ 読了時間 約11分
あらすじ(AIが作成しました)
郷里の小川のほとりや大学の庭で見かけた植物「すかんぽ」を題材に、著者自身の幼年時代の記憶や、青年期の文学仲間との交流を回想する随筆。震災後の生活や戦時の体験を通じ、山野の植物を食べる野草料理の実験に指を染めた経緯や、専門家と共に植物を調査した経験にも触れる。長年を経てふたたびすかんぽを口にした際の酸味と新鮮な香りに、過去の情景と失われた友への思慕を重ね合わせ、自身の半生と植物への縁を静かに綴る。
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字引で見ると、すかんぽの和名は須之であると云ふ。東京ではすかんぽといふ。われわれの郷里ではととぐさと呼んだ。漢名は酸模または※蕪[#「くさかんむり/(歹+食)」、259-中-9]である。日本植物圖鑑ではすいばと云ふのが普通の名稱として認められてゐる。今はさう云ふ事が億劫であるから、此植物に關する本草學的の詮索は御免を蒙る。
震災前、即ち改築前の大學の庭には此草が毎年繁茂して、五月なかばには紅緑の粒を雜へた可憐な花の穗が夕映のくさむらに目立つた。學生として僕ははやく此草の存在に注意した。其花の莖とたんぽぽの冠毛の白い硝子玉とを配して作つたスケッチは齋藤茂吉君の舊い歌集の繪として用ゐられた。
此植物は僕には舊いなじみである。まだ小學校に上つて間もない時分、年上の惡少にそそのかされて、春の末、荒野の岡に行つた。
「紙に包んでな、鹽を持つて行くのだよ。」
臺所の戸棚をあけて、鹽の壺から鹽を出して紙に包むと云ふ事が、この時ばかりはとても難澁な爲業であつた。そこに人の居ないのをうかがつて、またやがてそこに來る人のけはひのせぬのを確めて、臺所の押入の戸をあけるのである。
匙が壺の縁に當つて鹽の粉が敷居の上にこぼれる。指先につまんで紙に取つてもなかなか取りきれない。人の足音がし、急いで懷に入れた紙の袋から懷の中に鹽がこぼれたらしい。
「お前何をしてゐる。」
母だつたので安心した。何も返事をしなかつた。萬が一の爲めに辯解の用意はしてあつた。水が飮みたくなつたからコップを出さうと思つて鹽の壺をたふしたと云ふのである。然し其戸棚はコップのしまつてある戸棚ではなかつた。下男と女中とが話をしながら臺所の庭にはひつて來た。
「おはつ、正吉が鹽をこぼした。片付けてやんなさい。」