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TORENDIA

章学誠の史学

本文約10,600字 ・ 読了時間 約22分

あらすじ(AIが作成しました)

清朝の時代、考據の學が全盛を極める中で、独自の理論から史学を研究した学者・章学誠の学問を論じる。著書『文史通義』や『校讐通義』において、あらゆる学問を史学の背景から捉える必要性を説き、「六経皆史」という独自の思想や、地方志の意義、書籍の目録学である校讐学について考察を展開する。著者は、近代的な視点からこの学者の透徹した原理的研究を再評価し、その学問が持つ現代的な価値と歴史的意義を明らかにしている。

内藤湖南

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清朝の乾隆嘉慶の時代は考據の學が全盛を極めた時であつて、經學は勿論史學に於ても考據の大家たる錢大・王鳴盛などといふ人が出て、史學の風潮を全く考據に傾けたのであつた。然るにその時代に於て、浙江の紹興府から一人の變つた學者が出た。さうして一代の風潮の間に獨立して、史學を考據の方法に據らずして、全く理論的の考へ方から研究したのである。その人が即ち章學誠である。

この人はその生立ちからして少し普通の學者とは變つて居つた。その幼時には極めて遲鈍であつて、至つて記憶が惡く、十五六歳頃、その父が地方の知縣をして居つて、家庭教師を雇ひ入れて學問をさしたが、僅か數百字の文句を暗誦することにも非常に困難を感じた位であつたが、そのくせ何か意見はもつて居つて、文章も下手であるけれども、自分一己の理窟を立ててものを書き、家庭教師などの言ふことは聞かない。殆ど持てあまされた程であつたが、二十一二歳位からその學問がその長所を發揮して來て、殊に一己の創見によつて著述することに興味をもつて來た。進士の試驗には首尾よく及第したが、その學風もまたその人と爲りも餘程變つて居つたので、官途の出仕も出來ず、一生不遇に暮した。しかしその間に著述した所の文史通義・校讐通義といふ本は、まだ出版せられない當時からして、既に有識者に認められ、之を好む人は非常に崇拜して、その一文の出づる毎に皆之を寫し傳へて持つて居つた程であつた。それで歿後その子によつて著述は出版せられ、幾度も版を重ねたが、最近數年前に至つて、その全集を出版する人があつて、今ではその學問は非常に光を放つて、殊に新らしい西洋の學問などを修めた人々に尊重せられるやうになつた。

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